日々折々日々折々に思うことを書き連ねます
第21回 痛みとは
痛みが興るたびに思い出すのは三国志でお馴染みの、関羽が敵の毒矢に肘を打たれて手術をする場面だ。
トリカブトの毒を取り去らなければ死に至るという医師の勧めで手術をすることになった関羽は、馬良と碁を打ちながら右手を差し出した。医師が柱に腕を固定しようとすると、関羽はそれを断り平然と碁盤に向かい酒を飲んでいた。医師は骨を削って毒を取り去る手術をしたが、その間関羽は少しも騒がず碁を打ち続けた。その医師とは沛国の華陀という中国の伝説の名医である。
西洋ではヒポクラテスが医術の祖と崇められているが、華陀の臨床実績は圧倒的だ。『ヒポクラテスの誓い』くらいしか読んでいないが、黎明期科学指向とでも言うべきものが根底にあるようで、実際の臨床成果は時代相応のものである。それに比べて600年程後世の人だが、華陀の臨床は正に天才だ。演義ではなく正史に記述のある人だから、多少の中華的誇張はあったにせよ、実在の人物が衆目を集める医療を施したことは間違いないであろう。同郷の曹操が頭痛に悩まされた時、開頭手術を勧めたため疑ぐり深い曹操に捕らえられ拷問の末獄死したと伝えられる人である。その時代に開頭手術をするとは、曹操でなくとも恐懼するであろう。医療の名を借りて暗殺を計るものと邪推することも無理からぬことだ。ともあれ、華陀の残した医術の書は今に伝わっていない。死ぬ前に親切にしてくれた牢番に書を託したのだが、華陀と同じ不幸な末路に陥ることを案じた牢番の妻によって焼き捨てられたのである。
世の偉人と呼ばれる人に共通のことがある。それは優秀な弟子を得たことだ。釈迦には十大弟子、イエスには十二使徒、孔子には孔門十哲を先頭に77人とも72人とも言われる優秀な弟子、ソクラテスにはプラトンという巨人、吉田松陰にも著名人が弟子として名を連ねている。そして、その弟子達が師の偉大さを後世に広めたのです。言い換えれば、優秀な弟子がいなかったらその偉人は歴史に埋もれていた可能性があるのだ。ヒポクラテスの業績や思想が今に伝えられ、西洋医学の祖と言われることに比べて、華陀が単に伝説の人として名を残したに過ぎないことは、弟子の有無によるところ大である。
閑話休題。
筆者は永らくかなり強い痛みを伴う宿病を患っている。処方された鎮痛剤には世話になりっぱなしなのである。今の世に華陀がいたならば、開頭手術をしてもらってもよいと思うくらいだ。ヒポクラテスの流れを汲む西洋薬師には完治が望めないのである。インターネットの情報洪水は門外漢でも病気の原因や対応薬の作用の一面を垣間見ることができる。しかし、実際の治療はパソコンとキーボードでは始まらない。長い修練を積んだ医師に頼るほかないのだ。だが、その医師にも限界がある。筆者の痛みもそのひとつだ。抑える薬はかなりの効力を持っているが、常になんらかの副作用が伴う。その両者の兼ね合いで使用を続けることになる。根本的な原因が根絶できない間は仕方のないことと納得しているが、時に辛いものである。
自身の躯体の痛みもさることながら、社会生活上の痛みもヒポクラテスの教えではまだまだ対応できない。集団的自衛権、近隣諸国の反日政争。もはや第二次世界大戦の痛みを直接に知っている人は、関係諸国にどれ程存命なのだろう。少なくとも現役の政治家には誰もいない。政治的に影響力を持つ政治家OBの方々ですら、往時の戦争の中枢を知る人は誰もいない。戦争の表層を体験した人々はまだまだ御存命なのは承知しているが、企画立案した責任を負うべき地位にあった人は鬼籍に入っているのだ。筆者も含めて、大半の日本人は戦争の現実すら知らない。当然戦争を煽ったわけでもなく、遂行したこともない。ましてや責任を負う立場にもない。その我々が激しく詰られて、痛みに耐えなければならないのだ。
自分は何もしていないのだから、もうこの辺で止めて欲しいと願う気持ちはある。二世代も前の先祖が主導した戦争の責任追及をされても対応できない。社会の教科書では現代史はほとんどやらない。政治的な話を教育現場に持ち込まないという前提がそうさせているのだ。
多少、乱暴な極論を持ち出すと、13世紀の元寇、中国や韓国が連合軍として日本を侵略してきたではないか。その謝罪も補償もまだない。歴史認識と言うが、往時にそのような概念はなかった。そういう感情論を持ち始めるとまたしても危険な兆候が現れるのだ。
痛みというのは、他人には分からないものだ。薬で抑えられない痛みは、例え歴史認識という薬でも抑えられないだろう。痛みというものは人類に課された試練なのかもしれない。痛みの正体である偏見や遺恨を捨てられる時代はいつ来るのだろうか。
night Jan 30 , 2015 綴
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