日々折々日々折々に思うことを書き連ねます
第14回 秋の季語
荒海や佐渡に横たふ天の河 はせを
秋の季語と云えば、芭蕉のこの句に尽きる。
荒海や佐渡に横たふ天の河
(あらうみや さどによこたふ あまのがは)
ただ、この句は「荒海」が冬の季語であるとか、これを詠んだ新潟側から佐渡を見たときに天の川は天文学的に見えるはずがない等、句の本質から遊離した解説が喧しい。具象と心象の間を跳躍する芭蕉の世界を感じ取る意志のない人にとっては、例えばピカソの絵画などは無意味なものなのでしょう。まして、具象概念のまったくない音楽芸術は単なる振動または騒音なのかもしれない。数学者はこの世界は11次元からなると結論されていますが、芭蕉は第4次元に棲む凡庸な余人には不可視な第5次元を表現しているのかもしれないと思ってしまいます。
それほどマクロの視野を必要とする句ではあるが、芭蕉は奥の細道の旅路の同じ時に次の句も詠んでいる。これは秋の季語として異論はなかろう。
一家に遊女もねたり萩と月
(ひとつやに いうぢよもねたり はぎとつき)
奥の細道にはこの句の背景も簡単に描かれているので、とても分かりやすい。そして、あまりに遠くを俯瞰することに疲れた時にこそ、この句のような俗世界の微視的具象風景が私たちを安堵させるのだと思います。
Midnight Nov 03 , 2013 綴
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