日々折々

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第13回 「ウォーターゲート事件」の亡霊


 またしても記者会見でただただ品格の乏しい口撃を加えることがジャーナリストだと錯誤している記者達の惨劇をテレビで見せられた。社長が辞任するという言質を取ることだけが目的で、それで口撃はあっさり萎えてしまう。真実は何か、ということを明らかにすることはもはや目的意識の中からは失せている。とにかく権力(?)を持った人を責め立てることがジャーナリズムだと錯覚している輩が跋扈している。
なぜこんな風潮になりはてたのか。
 ひとつの解答は、ウォーターゲート事件の亡霊だろうと考えた。
 40年前に、米国のニクソン大統領が辞任に追い込まれたことがジャーナリズムの性格を決定づけた。アメリカの大統領と言えば、おそらくは世界最高の権力の持ち主であろう。少なくとも史上最強の軍隊の統帥権を保持していることは確かなことである。その権力者を追い詰め、最後は任期途中で大統領が辞任するという事態になったのである。当時ワシントン・ポスト紙の記者だったボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインの二人は、政権側からの有形無形の圧力があったにも関わらず、断固として屈っせず取材と報道を続け、真実を暴き出した。その功績で後にピュリツァー賞を受賞した。
 この図式はあまりにも有名で、ジャーナリストの典型として持て囃されたものだ。
 しかし、現職大統領という権力者の犯罪を暴くために、記者会見で罵詈雑言を浴びせかけるという手を使ってはいない。会見で白状させるなどということは考えもしなかっただろう。周到な取材を重ねて、動かぬ証拠を揃え、ワシントン・ポスト紙に連日記事を書き続けたのである。
 我が国には、そのようなジャーナリストはいないため、巨悪を暴くのは東京地検特捜部など官憲が担っているとされている。官憲に頼るジャーナリストが現代社会に存在しているなどというのは、恥ずかしいことではないか。しかしそれでも、ジャーナリストの真似事だけはしたい似非ジャーナリストは、民間企業の社長等を権力者に見立てて、ウォーターゲート事件の気分を味わっているのに違いない。言っておくが、民間企業の社長クラスを権力者などと思ってはいけない。彼らは単なるお金持ちなのである。下劣で知恵の働かない記者達にちょっと攻められただけでクビになるような程度のものなのだ。官僚や政治家の権力こそが、真の権力者なのである。
 もうひとつ、最近のマスコミの情けない醜態があった。橋元市長にちょっと脅されただけで謝罪に行くような者達をジャーナリストと呼べるだろうか。会見に応じてもらえなくなったら困るからなのか。正しいことを主張していたのなら、断固対峙すべきだったのだ。でも、その記事そのものが天下の朝日新聞の主張とは思えないような下劣さであっては、言うべき言葉はない。これは謝罪ではなく、廃刊するほかないだろう。この件も、自分で取材することを忘れた、記者会見頼りの現今のマスコミを象徴していると考える。

カール・バーンスタインが残した言葉に、The media are more powerful than our government institutions, but we are squandering that power.というものがあります。日本のメディア関係者の皆さん、もっと良識を持って下さい。

参考文献
大統領の陰謀―ニクソンを追いつめた300日(文春文庫)
権力の失墜(日経ビジネス人文庫)
どちらも、真実を追究するための常人には真似のできない執念を感じさせる力作でした。

Night OCT 29 , 2013 綴


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