日々折々日々折々に思うことを書き連ねます
第11回 ソクラテスの弁明考
ソクラテスの裁判と死刑執行の模様は、弟子であったプラトンの「対話法」という手法で著された作品でしか知ることはできません。主に以下の三部作で全容が分かるように仕立てられています。原語の表記はインターネット上では文字化けの可能性があるので、副題はあえて英語表記をしています。
筆者はプラトンの哲学について語ろうとしているわけではありません。プラトンの主観によって伝えられるソクラテス像は言うに及ばず、でしょう。
プラトンの描くソクラテスはいかにも不器用な哲人であり、おそらくはプラトン自身をもってしても意志を変えることができなかったと思われる。
しかし、もっと弁論術に長けた説得ができれば少なくとも死刑は避けられたのではないか、と思わざるを得ない。
筆者が考えただけでも、対話法という制約とストーリーテリングの手法による限界とを割り引いたとしても、ソクラテスの論点にはいくつかのセキュリティホールが見られる。重ねてお断りしておきますが、哲学的な主題に対するセキュリティホールではありません。
(1)死後に行く先
失礼ながら、ソクラテスは死後に神の国に行けると決めつけていること
(2)あまりに衒学的な語り口で一般大衆の理解を超えた話法を採っていること
せっかく口頭で直接語りかけるチャンスがあったのに、それを生かせなかった。つまり、対話というものは相互の語彙の摺り合わせから始まるという初歩的な認識が足りなかった。意思が相手に伝わらなければ、それは独り言に過ぎない。
(3)高慢と侮蔑は親戚筋であること
自身を賢者であると言い放つことは良いが、メレトスのみならず大衆の中から反感を買う危険性も考慮すべきだったと思われる。俗な言葉で言えば、高慢な人だという印象を与えてしまっては、侮辱されたと思う人もいるのである。
(4)告発内容と量刑の蓋然性についての思慮に無頓着だったこと
ソクラテスはデジタル思考の人だったのかと訝しむ。無罪か死罪か。その中間はソクラテスの頭になかったのだろうか。
(5)プラトンが自ら説得していないこと
あれほど敬愛する師であるのなら、プラトン自身がソクラテスの意固地なところを諫めるべきではなかったかと思う。70歳になるソクラテスがもはや生に執着はなかったことは推察できるが、それにしてももう少しプラトンの努力を見たかった。
以上、弁明とその関連著作を読んで直感したことを書いてみました。この問題は、もう少し熟考してみたいと思っています。
以下に、3部作を紹介しておきます。
『ソクラテスの弁明』Apology of Socrates
紀元前399年、アテナイの民衆裁判所。陪審員を前に、ソクラテスに対する告発者であるメレトスらの論告・求刑が行われ、それを受けてソクラテスが弁明をするところから話は始まる。死刑が確定した後、ソクラテスが聴衆に最後の演説をする。
『クリトン』Crito
紀元前399年、死刑判決から約30日後、アテナイの牢獄で死刑執行を待つソクラテスと同年齢で幼ななじみのクリトンとの対話で進行する。
『パイドン』Phaedo
紀元前399年、ソクラテスの処刑後に、パイドンが臨終の場に居合わせなかったエケクラテスにその最期の模様を語るという形式で展開する。登場するのは、ソクラテスの旧友クリトン、シミアス、ケベス、ソクラテスの妻クサンティッペ。獄吏。
MidNight OCT 26 , 2013 綴
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