日々折々

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第7回 ネット依存症
 朝日新聞で「ネット依存症」なる新種の病気についての記事がトップに載っていた。教養に乏しい新聞記者の妄言と読み捨てるにしくはないのだが、マスコミ教信者や流行に飛びつく軽挙妄動の輩が、純粋に道を究める者や穏健な愛好家を駆り立てる「宗教裁判」に発展するのではないかと不安になった。
 「依存症」の定義については、医師の守備範囲なので筆者がとやかく言うことではないかも知れないが、ここでは、「依存」と「没頭」或いは「熱中」について考えてみたい。たとえば、囲碁や将棋に没頭・熱中する若者はやがてプロ棋士となりマスコミの賛辞を送られる。日夜野球に明け暮れる少年はやがて甲子園に出場しマスコミからヒーローとして持て囃される。これを誰も「依存」とは言わない。おそらくプロ棋士を目指す少年は「ネット依存」と言われる人よりも遙かに将棋盤に向かう時間は多いと思われる。スポーツ少年にしても、朝練から夜の練習まで没頭している人が多いことだろう。  翻って、麻雀に没頭する人はギャンブル依存症と指弾される。とすると、「依存」と「没頭」の区別は、その態様(症状?)ではなく、対象なのだということが推定される。社会的に「悪」乃至は「害」とされるものに没頭することを「依存」というのである。要するに何かに没頭できない人を「健康者」とし、「オタク」を依存症と呼ぶのだろう。
 選挙でもインターネットを活用する時代に、ネットワークについては偏見が多く、それを マスコミが助長するという構図であろう。
 朝日新聞だけでなく国営放送でも同様の解説をしていた。一日コンピュータの前で仕事をし、休憩時間をインターネットでお楽しみのネットサーフィンをし、時にコンピュータゲームをしている人は、1日の大半をPCの前に座っていることになる。週末くらいはアウトドアで何かしようと思ってはいても、お金や天候がままならなければ、ネットで時間を潰すこともある。昔ファミコンに没頭する子供のことを批判した大人達は、竹とんぼや紙芝居を教えれば子供が健全になると考えた(人もいた)。朝から晩まで竹とんぼで遊ぶ子供がいたとしたら、それこそホラー映画の世界ですよ。
 筆者の少々乱暴な結論だが、「ネット依存症」なる造語を拵えて非難する人たちは、実はご自分がネットをうまく活用できないことの劣等感の裏返しなのではないだろうか。インターネットがこれほど発達し普及したのは、麻薬のような性癖があったのではなく、確実に人類にとって有用なものだったからだ、と素直に認めなければなるまい。そういう観点から長時間ネットに没頭する若者を見る必要があろう。将棋に没頭する少年のうちどれくらいの人が羽生名人のようになれるのか。野球に熱中する少年の何%が甲子園に行け、さらにその何%がプロになれるというのか。将棋でも野球でも、確率で制約することは決してない。ネット依存と呼ばれて、PCを取り上げられた少年から、実はビル・ゲイツが誕生していたかも知れない、と考える度量がないのは悲しいことだ。
 没頭できる、熱中できるという人はある意味、特別な能力を持った人なのだ。そういう特別な人を理解できる人は、少なくともマスコミ人にはいない。

Night Aug 5 , 2013 綴


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