日々折々日々折々に思うことを書き連ねます
第4回 夏の季語の随想
猛暑の季節がやってきた。それも史上空前の予感が広がっています。
そこで、俳句の季語から夏のそれを拾って、暑中見舞いとします。
まずはストレートに「暑い」を表現する季語には次のようなものがあります。
大暑、炎暑、酷暑、極暑、褥暑
どれも説明を必要としない、猛烈な暑さを表現する言葉です。言葉の意味というものは、主観と客観の間を振幅しながら定義されるものですから、暑さの序列を明示することはできません。俳句の世界ではひとつの句に「季語はひとつ」というルールもありますから、それぞれ単独で使って猛烈な暑さを表現しなければなりません。
燃えるような暑さと言うことから、
炎昼、炎帝、炎天
というのもあります。
しかし、ただ「暑い暑い」と叫ぶように書くだけでは芸術と呼べません。昨今メディアでは食道楽(グルメ)番組が流行っていますが、タレントさん達は、台本に指示されているのか、もともと貧弱なボキャブラリしかないのか、「あまい」「うまい」を絶叫するするばかり。絶叫の声音の大きさで段階を表現しようとしているのか、喧しいことこの上ない。騒音計のdB値で推測せよと言わんばかりです。せめて、「虎屋の羊羹」より「あまい」+2とか、「京都錦の千波の塩昆布」より「うまい」−3とか、デジタル表現でもいいので工夫したレポートをしていただきたい。
従って、世の俳人連はただの「暑」だけでは能が無いと思って「炎」や「酷」をつけて芸術への扉に近づこうとしたのであろう。この季語を俳句でググって見て下さい。結構いいものが見つかると思いますよ。
しかし、次の句をご鑑賞下さい。教科書にも載っていた著名な句です。
暑き日を海にいれたり最上川 はせを
「暑」になにも冠をつけずとも、夏の暑さの総体を雄大なスケールで表現しています。時空を俯瞰する表現技法は芭蕉翁の独壇場かもしれませんが、学而時習之。
叫び声の大きさで表現するのではなく、少し引くことによって事物の相関関係を見ることができれば、ずいぶん豊かな表現となります。これぞ教養の最たるものと言えましょう。心がけたいものです。
Nightfall July 9 , 2013 綴
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