日々折々日々折々に思うことを書き連ねます
第2回 Blog?? Facebook?? Twitter?? そして、Agitater!!
この3種の神器は「教養」と何か関係がありますか?
今のご時世ですから、今回の主題については誰もがWikipedia等でググることが出来るだろう。
しかし、ググっても・・・私には不可解でした。それならば、始めてみるしかない、という結論に達しました。
現時点で分かったこと。
(1)ブログ
なんだか、ホームページの簡易版という印象です。HPを拵えるには相応のスキルが必要ですが、ブログは予め雛形が用意されていて、それに従って書き込むだけという認識です。それはそれで、特別な知識を必要としないので、一般化という観点からはとても有益なことだと肯います。コンピュータに関する知識を持つということの大変さは、誰もが感じていることだと思います。それを使ったインターネットという道具を使いこなせたらいいな、という人間の願望を簡便に満たしてくれるツールとして評価します。人はそういうある種の上昇志向がなければ、進化しない。
しかし、本当に問われるのはその中身だと思うのです。ブログと呼ばれるものを散見すると、99%は熟慮の成果を表現したものとは思えません。単なる世間話、一過性の無駄話、発言内容に責任を負わない独り言と言ったものです。
(2)フェイスブック
成り立ちや蘊蓄はググっていただければ、お分かりだと思うので書きませんが、正直言って私には理解不能なツールです。一応登録はしてみたものの、プロバイダ(?)からしつこいメールが連続して辟易しています。他人に自分の考えを表明することに納得できないというのではありません。ホームページで私自身もしていますから。しかし特定の個人との話ならば、いわゆる信書ですからメールで事足ります。それを関係者にも供覧するということに抵抗があるのです。「友達の友達」程度ならついて行けますが「友達の友達の友達」まで拡張されると、話の内容が次第に曲解されるようで不安になります。そんなまじめな会話ではないとおっしゃるのでしたら、私には無縁のツールと言えます。単なる情報伝達のツールだと割り切って使うにしても、「信憑性」のない情報に価値を見いだすことはあり得ません。
おっ、FACEBOOKについての悪口を言っているような論理の展開になってきましたね。それは主意ではありません。人間関係のある種の「潤滑剤」としての無駄話には、コミュニケーションのツールとして有用なものだと評価しています。そこから、真剣なお付き合いに発展することも十分考えられるからです。また匿名を排除しようという姿勢はとても評価できます。本来ホームページも匿名を排除すべきだと考えていますが、一方で匿名の論難をされるのは困ります。人は「匿名」となると人格が変わります。いえいえ本性が出るのです。まだ人類の過半数は獣の域を出ていないと推察します。私自身も自分の中の「獣」性に驚くことがほぼ毎日あります。それは、防御本能と言い換えることもできると考えています。ですから、強ち「獣」=「悪」だとは思っていません。しかし、防御しなければならないような環境が現実の周囲にどれくらいあるのか、と言うことを考え合わせると、過剰防衛という言葉に行き当たります。
ひとつ悪口を言わせてもらうと、FACEBOOKの危うさは、この「獣」性との向き合い方が厳格ではないことです。匿名性を追求していることは承知していますが、現実には匿名登録もそれほど難しいことではない、言い換えれば獣人が容易に人間になりすますことができるということです。誰もが人間だと思って使っていたら、中に獣が人面で参加しているのです。人面獣心の人とお付き合いするのは本当に怖いですよ。
牛面人身のミノタウロスや人面馬身のケンタウルス、牛頭馬頭は牛頭人身、馬頭人身の獄卒。こう言った連中とFACEBOOKで繋がるというのも一興かもしれませんが、できれば三途の川に招待されるまでは遠慮したいものです。
結局、悪口が中心になったようです。反駁は大歓迎。
(3)ツイッター
これも成り立ち等はググっていただければ、お分かりだと思うので書きませんが、大阪市の橋本市長の利用でずいぶん有名になったような気がします。それまでは、単なる「呟き」だと聞いていたので、基本的に「呟きは人に聞かれないような性質のもの」と信じていた私には、信じられない流行だと思っていました。人の呟きを聞くのも、自分の呟きを聞かれるのも、願い下げにしたいと思ってたのです。
しかし、豈図らんや、橋本氏の行状は毀誉褒貶はありますが、「呟き」と呼べるものではありません。声高に自己主張をするためのツールです。となると、ツィッターの定義からは少々逸脱しているのではないでしょうか。むしろアジテイト(agitate)でしょう。私の若い頃には、街角でアジ演説をする流行がありましたが、それと似たような印象です。橋本氏は、そもそも人知れず呟いたりできるタイプの人ではなさそうです。
しかし、一応ツィッターで呟いているのに、それの揚げ足を取るというマスコミの姿勢も問題です。真剣に怒っているではありませんか。橋本氏もツィッターなのだからと、笑って済ませれば良かったものを、ムキになって反論するからとんでもない国際的緊張を生んでしまったのです。
(4)アジテイター(Agitater)の創設を提唱します
と、ここまでブログ、フェイスブック、ツィッターと流行のネット現象を概観してきましたが、どれもネガティブな印象しかありません。穴蔵から半身だけを出して、こそこそと自己主張をしているような気がしてなりません。何か言われたら、すぐに巣穴の奥に逃げ込んでいけるような超安全志向を感じます。それではもの足らないという人もおられるものと推測します。現今は英雄待望論の時代ではないと考えますが、もっとアジテイトできる人の発言場所を提供しておくことも重要なことかもしれません。多くの人々は、導いてくれる人に従って一生を終えるものなのです。誰も導く人のいない社会では、ツィッターやフェイスブックで、断片的で無責任な発言を繰り返し、自分の行き先も見えていない人が氾濫してきます。自分に直接関係のあることだけ自己主張し、それ以外は無関心。これはもう原始社会への回帰です。カール・マルクスも原始共産制を是としていませんでしたね。
そこで筆者は、烏合の衆をリードする人を生み出すためにも、アジテイターというSNSを提唱します。
2013年7月5日 綴
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