日々折々日々折々に思うことを書き連ねます
第1回 緒言
教養とは何か。
今のご時世ですから、誰もがWikipedia等でググることが出来るだろう。
知識、文化、教育、文学、芸術、創造、人格、哲学・・・どれも教養の一部であり、すべてを言い当てていない。
東洋哲学の大人、儒家の祖、孔子(孔丘仲尼 紀元前479年没)を教養ある人と定義することに異論を唱える人はいないでしょう。彼の言とされる教養についての一説を引用します。
子曰
学而時習之 不亦説乎
有朋自遠方来 不亦楽乎
人不知而不慍 不亦君子乎
簡訳だが、
学んで実践することは喜びである
遠方から同志が訪ねてくれることは喜びである
他人に評価されなくても憤らないことこそ君子である
私は、ここに教養の本質を観る。
孔子が没して10年後の紀元前469年頃生まれたのがソクラテス。
そのソクラテスが生まれて6年後に釈迦が生まれた。
3者に共通していることは、著作を残していないことである。恣意的に残さなかったとされている偉人もいるが、真偽はともかく著作が残っていないことは確かなようだ。そして、3者とも言行録の記述に長けた優秀な弟子を持っていたことだ。その弟子たちがいなかったら、3偉人の思想は今に伝わっていなかったのである。
教養人ということに万人が肯う、この3偉人に共通している「著作なし」ということもまた「教養」の本質なのかもしれない。
2013年7月3日 表
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