私の書棚

記憶に残る書籍について思うことを書き連ねます

 第7回 夫婦善哉と墨東綺譚
(墨は、正しくはさんずいに墨であるが文字化けするので代用しています。ご容赦を。)
 織田作之助 夫婦善哉 1940年
 永井荷風  墨東奇譚 1937年


 初めにお断りしておくが、私は織田作之助も永井荷風も代表的な物を数作読んでいるだけで、研究者や評論家のように全作品を網羅的に精読したわけでもなく、時代考証を含めて社会的背景を分析した訳でもない。単に、自分の貧弱な感性と覚束ない経験に照らして、直感を記しただけである。

 先日、テレビで織田作之助「夫婦善哉」のドラマ化が放映されていた。チラ見だけですが懐かしい思いをしました。私は特に織田作が好きなわけでもなく、「夫婦善哉」の筋書きはどちらかと言えば嫌いな部類に入る。にも関わらず懐かしい思いがしたのは、荷風の墨東奇譚との対比が想起されたからだ。もちろん荷風も好きなわけではなく、この奇譚も決して好きではない。しかしながら、戦前の世相の一面を描いているという意味では、読書人としてはどちらも避けて通れないものなのである。泥臭い大坂の町にどっぷりと浸かった織田作は、どこまでも大坂的なものを押し出して、人の情の本質の断面を切り裂いて描き出した。一方の荷風はと言えば、東京の下町の風物とともに人の情念の内面を薄衣を通して垣間見せる手法で書き出している。私はどちらの土地も知らないが、彼の二人が著した物であるからには、真実から遠く外れたものでないと信じている。
 おそらくは、織田作の方が荷風の連載を知って、奇譚は大坂にもあると思い立ったのであろう。敢えて似たようなプロットで挑みかかったのであろうが、荷風も近松の人情物を下敷きにしていたのであろうか。どちらかと言えば明治時代の大上段から攻めてくる気風が、昭和に入ってから息切れしていく様を見るようでもある。  毛色の違う両作品を読み返してみて、満足感を覚えた。
 

織田作之助 夫婦善哉 1940年(昭和15年)雑誌『海風』4月号掲載。
問屋の若旦那で妻子持ちの維康柳吉と天麩羅屋の娘として育った蝶子の恋物語。

永井荷風  墨東奇譚 1937年(昭和12年)東京朝日新聞に連載。
50代後半の小説家、大江匡と玉の井の私娼お雪の恋物語。

Night Dec 10 , 2013 綴


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