私の書棚

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 第6回 西遊記
 著者 呉承恩
 訳者 太田辰夫・鳥居久靖
 出版 平凡社「中国古典文学大系 31.32巻」

 
 初めにお断りしておくが、この西遊記はそもそも民間伝承の物語であり、作者も丘長春という説もある。
 また、訳本も多数出ていて、太田辰夫・鳥居久靖訳が一番好きだが、岩波の小野忍訳(未完)も日本語の文章にムラがあるものの読める物ではあった。途中から中野美代子氏に変更になったが、中野氏の西遊記に対する思い入れの濃さは分かるけれども、日本語になっていない訳文では読み続けられなかった。失礼ながら、中野氏の西遊記がらみの著作も散見しましたが、少々薄気味悪い趣味の方だと思いました。
 他には、邱永漢氏の翻案物、『完訳西遊記』と銘打っておきながら簡訳レベルの村上知行氏のもの、そして簡訳だがとてもいい訳の絵が多い西遊記も読みましたが、残念ながら手元にありません。訳者も忘れています。他にも多数出版されているようですが、読んだことはありません。
 西遊記については、ストーリーもキャストもあまりにも有名なので、ここで論うことはしませんが、ずっと気になっていることがあります。それは、孫悟空の頭にある緊箍児や、手持ちの武器である如意金箍棒の、『箍』の読み方である。今は私の手元にない西遊記では、「そう」と読んでいた。『きんそうじ』『にょいきんそうぼう』である。しかし他の訳本ではすべて『きんこじ』『にょいきんこぼう』である。ただし、スピンオフ物の中島敦の「悟浄歎異」では「そう」とルビが振ってあった。私は「こ」と読むより「そう」と読む方が語感がしっくりくるのだが、果たしてどうでしょう。所詮日本語流の読み方の是非などを問うても正解などはなく、意味のないことではあるが、個人的には違和感を感じていた。
 ちなみに、『にょいきんそうぼう』は東海竜王敖廣の龍宮城から強奪した物。一万三千五百斤(約8トン)という重量で天の川の重しとして使われていたが、悟空は軽々と持ち上げることができた。『きんそうじ』は観音菩薩が釈迦から託された物。禁・緊・金の3つの箍があったが、悟空に与えられた物は緊箍児であった。これを機能させるためには、緊箍呪という呪文を唱えるだけでよいため、知っている者だけが悟空を制御することができた。

   そもそもこの手の読み物に解説は無用であろう。楽しむことができればそれで良いと思う。私は、標記の西遊記で楽しむことができた。できれば、文庫化して欲しいものだ。さらにkindle化してもらえばさらに嬉しい。
 
 
Night Nov 25 , 2013 綴


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