私の書棚記憶に残る書籍について思うことを書き連ねます
第5回 悟浄出世
著者 中島 敦
出版 Kindle本(PDSのため無料でした)
中島敦は「李陵」や「山月記」等漢語調の格調高い文章で知られる作家であるが、この作品は西遊記の沙悟浄を主人公にした短編二編の内の昭和17(1942)年のものである。
厭世的な、霊霄殿の捲簾大将のなれの果て、沙悟浄の物語である。まだ三蔵法師に仕える前の妖怪だった頃の、いわば長大な西遊記のスピンオフとでも言うべき作品でもある。話の舞台となる流沙河の底にはおよそ一万三千の怪物が棲んでいて、悟浄は醜く、鈍く、馬鹿正直なために妖怪どもの嬲り者になっていた。
この作品によると、幻術の師匠の名は斜月三星洞の黒卵道人。ちなみに、西遊記によると孫悟空も霊台方寸山にある斜月三星洞というところで広大な神通力を会得している。ただし洞名は同じでも、悟空の場合の師匠は須菩提祖師という方であったと記憶しています。
幻術の師匠から自分の求める答えは得られないと見限り、次は蝦の精、沙虹隠士に三月の間仕えた。その老隠士は「世界とは、自己が時間と空間との間に投射した幻じゃ。自己が死ねば世界は消滅する。」まるでデカルトや量子論者の台詞ではないか。「悟浄出世」が書かれた頃にはデカルトは必然だが、量子論も中島敦の知識の中にはあったかもしれない。何しろ博学な人ですから。しかし、ペシミスト悟浄にとって自己が死ねば消滅する世界観は許されても、多世界解釈は納得が行かなかっただろう。中島敦の死後に発表された量子論の多世界解釈を、もし知っていたらさらに複雑な話の展開になっていたことであろう。
三蔵法師と出会うまでに、悟浄が自己について悩み苦しみ諸国を遍歴し、幾多の仙人、真人、妖怪達と邂逅する物語であるが、哲学的テーマに対して正面から挑みかかる小説は、現今もはや存在しなくなった。久しぶりに読み返してみて、変わらぬ感慨を受けました。
ただ、西遊記フリークの私には、この著書の内容に若干の不審もあります。悟浄という名前は、観音菩薩が付けたものであるが、菩薩との出会いはこの物語の最後なのである。それまでは悟浄ではないはず。まぁ、枝葉末節ですが。
さらに、今様のキャッチコピー風に言えば、講筵、蒼煌、秘鑰、嬋娟、綸命、哂う(晒ではない)、渠(彼のこと)等々、ドクター漢語・中島敦ワールドは全開でした。
補遺
火炎山で牛魔王とその妻・羅刹女を降してから一カ月後から始まる「悟浄歎異」も良質の作品です。
evening Nov 21 , 2013 綴
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