私の書棚記憶に残る書籍について思うことを書き連ねます
第4回 「量子論」を楽しむ本
監修 佐藤 勝彦
出版 PHP文庫 Kindle本
読後に憶えていることを感想として列挙しておきだけにしておきます。得た知識の大半は短い時間で消滅してしまうでしょうから。
☆電子は観測するまでは波であるから1個ではない?
単に揺れ動いている、としてはいけないのか。本来の位置は、光子のエネルギー作用で動いてしまうので、ずれがあると言うが、存在としてはあるのではないか。光子の影響範囲を理論的に説明できないだけではないか。量子の位置は確率的にしか推測できないと言われても、現実に原子核の周りを回っている1個の電子が二つの軌道を回っている等と、私には何回生まれ変わっても理解の他です。アインシュタインも反対されたらしいので(没後に証明されたらしい)、私はどちらを信じたらいいのでしょう。デカルトの有名な一節、ego cogito, ergo sum「我思う、ゆえに我あり」と量子論は同じなのか。しかしさすがのデカルトも1つの物質が観測するまでは複数存在している等という洞察はなかったですね。
☆思考実験は、証明の手段なのか。
正しいと証明された理論から推論するのだから、思考実験で十分と考えているのか、実験の手段がないのだから仕方が無いと言ってよいのか。大いに疑問です。
☆複素数で考える
この辺までくると、完全について行けない。これは私の知能の限界を超えています。そもそも虚数などという概念は高校数学で終了したと思っていたので、お手上げです。
☆多次元で考える
2次元の生物には、第3次元目の様相は計り知れない。見ることも想像することもできないだろう。しかし、確実に存在しているのだ。そういう意味では、第5次元の存在もあるかもしれないと思います。11次元まであると言われても、これも私の知能の外です。理解できないから、間違っているとは言えませんね。「存在」というものは4次元思考では太刀打ちできないのでしょうね。
☆宇宙は「虚数の時間」で生まれた。(ホーキング)
もう堪忍してください。100年後の高校の教科書では当然のことのようにこんな物理を教えられるのでしょうか。子孫たちが可哀想になってきます。
☆量子コンピュータ
通常のノイマン型コンピュータは、0と1、有るか無いか、電圧が高いか低いかという二者択一のデータで動く物だが、量子コンピュータは0と1とが重なった状態で計算が進むという正しく並行宇宙のような話であった。量子論の多世界解釈風に言えば、無限のパラレルレジスタが同時進行するということだろうか。デジタル一辺倒のコンピュータの世界にファジーな量子論はどのように具体化できるのだろう。
それにしても、監修の佐藤勝彦先生はすばらしい書物を出してくれました。わたしのような門外漢でも考えられるようにしていただいたことにはとても感謝しています。でも、執筆者はどなたなのでしょうか。本当はそちらに感謝すべきなのでしょうが、どこにも記載されていませんでした。表紙には「監修」となっいたはずなのに、巻末では佐藤先生は「著者」となっていました。しかし途中の文章を書いたのは本人ではないということは推定できます。それとも量子論的に、上梓されたら佐藤先生だが、それまでは著者は特定できないという暗喩なのでしょうか。昨今流行の捏造論文の誹りを受けるのにはもったいない出来映えの書物でしたから、少々気になりました。
Night Nov 20 , 2013 綴
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