私の書棚記憶に残る書籍について思うことを書き連ねます
第13回 遊歩大全
著者 コリン・フレチャー Colin Fletcher
訳者 芹沢一洋
原題 The New Complete Walker
そもそも筆者は生来の出不精で、運動嫌いなのである。それなのに何故この本を読もうと思ったかというと、居ながらにしてアウトドア志向者の気持ちになれるのではないかと考えたからである。心の奥には、遠い昔に諦めてしまった、運動への憧憬があったからかもしれない。
運動が嫌いでもエベレストに登頂したいという気持ちはある。ただ必要なトレーニングなど御免被りたいので、できればヘリで山頂まで運んでもらいたいと願う方である。ちなみにヘリの到達最高高度ではエベレストの頂上までとても行けないらしい。宇宙にも行ってみたいと思う。ただし、こちらはもっと消極的だ。宇宙飛行士の訓練が嫌だとか言う前に、リスクが高すぎることが問題なのだ。エベレストまでヘリで連れて行ってくれると言われたら、その気になるかもしれないが、喩えスペースシャトルに乗せてあげると持ちかけられても、筆者は丁重にお断りします。先日「ゼロ・グラビティ(原題:Gravity)」という映画を見たから余計に恐怖心があるのだ。
と言うことで、筆者は机上の空論や空中楼閣を紙の上(最近は電子ブックだが)で愉しむということの方が向いているのである。遊歩大全を読み進めると恰も自分が荒野のウォーカーになったような緊張感が生まれる。著者の追体験を自分勝手な想像力で膨らませることが出来るのだ。人間が水無しでどれ位生きていられるかという観点から装備を考えることや、10日間荒れ地で歩き続けるための食料をどうするかなど、とてもおもしろく読めた。十分な食料と水を一人で背負って歩くことは不可能なので、軽い携帯食を持つしかない。毎日毎食その携帯食を食べる単調さに変化をつける方法。砂漠地帯で水を確保する方法。・・・あまり引用が過ぎるといけないので詳しくは書かないが、ウォーキング素人の著者にはどれも興味津々なものであった。ただし、この本を読んだ後でも、決してウォーキングに出かけたいという気にはならなかった。著者の表現力の問題ではなく、筆者の頑迷な運動への忌避意識のせいなのだ。
17世紀に表されたのアイザック ウォルトン(Izaak Walton)の釣魚大全(The Complete Angler)は、かつて釣り師を標榜していた頃に散見したことがあるが、この遊歩大全も日本人には少し違和感のある書物ではあった。地球規模でウォーキングを楽しめる財力と体力のある方ならともかく、筆者のような京都の特定の地域からほとんど出ることのない者にとっては、現実味のないものではある。どちらも日本人の作物ではないのだから仕方がないけれども、願わくば"Complete"の日本版に出会いたいものだ。
最後に自己弁護をさせていただくと、釣魚大全は実地の参考にすることができた。釣る魚の種類がヨーロッパとは違っていたが、それはそれで参考になった。釣りをしない人は釣りというものを悠然と糸を垂らす沈黙と静謐の技だと思っているだろう。しかし、本当は緊張の連続で、1日釣りをしたら疲労困憊するのである。1日でたった一瞬だけ浮子が動くような厳冬のヘラブナ釣り。囮鮎を目的の岩の間に巧みに誘導する鮎の友釣り。山間の源流で木々の間に身を潜めてそっと糸を繰り出すイワナ釣り。まさしく大全が必要となる世界なのである。
Night July 2 , 2014 綴
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