『お話』について
一次創作であれ、二次創作であれ。
絵描きさんであれ、文章書きさんであれ。
自分が生み出した作品は、どの方も『可愛い自分の子ども』だと、思っておられることと思います。
かくいう私も、そうでして。
出来上がった子達が、どんなに他人様の眼から見て不出来だと烙印を押されるようなものであっても、苦労して、
生みの苦しみを味わって、生まれてきた子どもたちですから、『わー、なんちゅう、不出来〜』と生んだ親でさえそう思って
しまうものであっても、心底はとっても可愛いく、思っています。
ま、いわゆる『親バカ』ですね。
だから、どのお話も、とてもとても大事なモノで。
出来得れば、他人様からも『不出来』を承知で可愛がっていただきたい、と図々しく願っていたり。
可愛がっていただけなくても、お披露目だけでもして、せめて存在だけでも知っていただきたい、と思っているのですが。
その反対に。
一文字一文字編んで、文章、話に編み上げていった、大事な子どもたちであっても。
いったん、お披露目をした子どもたちは、既に私の思いだけで構成されるものではなくなって、そこに読み手様の思い
(妄想ですか、ね)が加わって。読んでくださったそれぞれの読み手様のモノになるんだな〜、とも、感じています。
つまり。
お披露目をして、読んでいただく、ということは。
その作品は、世の中に放り出した時点で、純粋に私の思い描いた子どもたちではなくなる、ということ。
作者としては、こういう意図でこう描いたのだけれど、読んだ貴方はそう捉えたか、ってなコトもあって当たり前なんですよね。
そういうことがあるからこそ、自分が描いた子どもたちで、また新たな妄想が出来るという、私にとってはとてもありがたい
相乗効果が得られているという(^^;
いやいや。読み手様方には、足向けて寝られないわ(^^;
ありがたいコトで、ございます。
2006/06/19 up
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