若葉の頃
切り立つ崖の上にある城の横に、王家の管轄の庭園がある。 気候や湿度が安定したここ魔界では、花は年中咲いている。 なかでも、この庭園内はよく手入れの行き届いた色とりどりの花が絶えず、毎日使用人が訪れては、数多くある部屋を飾るための花を摘んでいく。 すっぽり埋まって隠れてしまいそうなほど、背の高い花。 足元で風に揺られる小さな花。はっと目を引くような鮮やかな色。 心を安らかな気持ちにさせる淡い色。 ここには様々な種類の花が植えられていた。
今日の花摘みの担当はターナだった。 すでに決められた分だけを城に届けると、またここに戻ってきていた。 すぐ横にある大輪の花には目もくれず、小さな淡い紫色の花を丁寧に摘んでいた。 一息をついて、額に滲む汗をぬぐうと白いエプロンに集めたうちの一本を手にとって、近付けてみた。 稲穂のように咲く薄紫色の小さな花全体から、甘い芳香がする。 ターナがその香りを楽しんでいると、背後から人影が覆いかぶさってきた。
「娘、そこで何をしているのだ?」 振り向くと、そこには腕組みをして立っているレドルフ王子の姿があった。 「大王様に差し上げるお花を摘んでおります。」 立ち上がったターナのエプロンから薄紫色の花が零れ、うやうやしくお辞儀をしてターナは顔をあげた。 「父上に?」 「はい。大王様は最近眠りが浅くてお困りとのことでしたので。この花には安眠効果があるそうですから、何かお役にたてればと思いまして」 「そうか…」 その後に続く礼の言葉をかけようとした時、遠くからサンドの声が聞こえてきた。 「王子ー!レドルフ王子ー!どこにいらっしゃるのですかぁー!」 「まずい、サンドだ。おい娘、わたしがここにいることは内緒だからな」 ターナの返事を待たずして、レドルフは彼女の後ろで聳え立つように群生している花の中に逃げ込んだ。
ほどなくして現れたサンドは散らばった花を集めているターナに気付き、声をかけた。 「レドルフ王子を探しているのだが、見かけなかったか?」 「…いいえ。わたくしはずっとここで花を摘んでおりましたが、お見かけしませんでした」 「そうか。まったく、あの我がままな王子様は一体どこへ行かれたのであろう」 サンドはため息まじりに何かぶつぶつと呟きながら、霧に包まれ消えた。
「我がままで悪かったな」 完全に気配が遠ざかってしまったことを確認してから、ターナの背後からレドルフは再び現れた。 「…父上の具合はどうなんだ?」 ターナの隣で土の上に直に腰をおろしながら、ややくぐもった声でたずねた。 ターナは花を摘もうとしてのばした手を止め、頼り無げにうつむいている王子を見た。 「夜になるといつも熱を出されるそうです。レドルフ様は大王様に御会いにならないのですか?」 「父上はこのところ、わたしの顔を見ればすぐに結婚の話だ。気が滅入ってしまう…」 「大王様はレドルフ様のことを心配されているのです。でも結婚がお嫌でしたら、お断りなさればよろしいではありませんか」 「そんなこと、できるものか!!」 にっこり笑って簡単に言ってのけるターナの言葉が癪に触って、レドルフは思わず声を荒げた。 ターナは目を丸くして、ただじっと王子の顔を見つめた。 「…どうしてですの?」 そのあまりにも素直な素朴な質問に、レドルフはかえって何も言えなくなってしまった。
王子の身分である自分に対して、物おじせずに話すこの不思議な少女。 周りには今までいなかったタイプである。 「父上には逆らえないのだ。とても厳しい方だからな」 彼女と言葉をかわすうちに、いつのまにか気持ちが落ち着くような、それでいて何だかくすぐったいような感じを覚えた。 それはレドルフにとって初めての感覚だった。
「大王様は確かに厳しいところも持っていらっしゃいますが、とてもお優しい方ですわ」 またにっこり笑ってターナは言った。 「優しいだって?あの父上が?わたしはいつも恐い顔で怒鳴っているところしか見たことがないぞ」 「それは、恐れながらレドルフ様が大王様に怒られることをなさるからですわ」 優しい顔をして、ターナはあっさりと言ってのけた。 痛いところをつかれているのに、今度は何故かもう腹立たしい気持ちは起こらなかった。 それどころか、もっとこの少女と話しをしていたいという気持ちにさえさせる。
「顔に土がついておるぞ」 レドルフは手をのばしてターナの頬に触れた。その時、そこで彼の視線は釘付けになってしまった。 漆黒の長い髪は自然とゆるくうねって腰のところまで届く長さ。 芯の強そうな彼女の性格をその奥に隠した黒い瞳。 ほんのりと紅をさした頬。花びらのような唇。 先ほどまではなんともなかったレドルフの心臓が、とんでもない早さで動いていた。 近くで見れば見るほど、この名も知らない少女の美しさに心を奪われていく。 見合いの席で会ったどんな令嬢よりも、ただの使用人の一人にしかすぎないこの少女に。
「見つけましたぞ〜〜〜、レドルフ様!!!」 「きゃっ」 「うわっ!」 二人の背後から急にサンドが現れ、レドルフは慌てて手を離した。 「家庭教師の先生がお待ちですぞ」 有無を言わせず、サンドは王子を引きずっていった。 その一部始終を唖然としてターナは見つめていたが、ふと我に返りまた花を摘みはじめた。
「さて、これだけあれば充分ね」 エプロンに溢れるほどの花を入れ、ターナは庭園を後にした。 道すがら、ターナは王子のことを考えていた。 使用人の間では、レドルフ王子の評判は芳しくなかった。 我がまま、傍若無人、気難し屋、暴君。 彼を形容する表現は数あれど、誉め讃える言葉は何一つない。 実際初めて会ってみて、逆になぜ他の人たちがそんな風に言うのかターナにはわかりかねた。 拗ねたような寂しげな瞳と、それを隠すための強がった態度。 土をはらう時の優しい笑顔が、ターナの心にはっきりと鮮やかに残っていた。 きっと本当は心根の優しい方なのだと、ターナは思った。
その頃、勉強室ではレドルフが待ち構えていた家庭教師の監視のもと、参考書相手に格闘していた。 いや、正確にはそのふりをしていた。 彼の頭の中はもはや先ほどの少女のことしか考えられなくなっていて、彼女の名前を聞き損ねたという、ただひたすら後悔の念にかられていた。 そしていいところで邪魔に入ったサンドを恨めしく思うのだった。
かるさんへプレゼント。 謎の多いご夫婦、レドルフとターナさん。 どんな出会い方をしたのでしょう?そこから妄想が広がりました。 ここではジャンとランジェの関係を少しなぞらえて、ターナさんは身分の低い女性にしてありますが、 実際はどうだったのでしょうね。
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