籠の中の鳥の原罪
変わらぬ季節の魔界にも朝は訪れては立ち去り、滑り込むように夜はやって来る。 あれから…彼の言葉に衝動的にざっくりと切り落としてしまった髪も、今では充分な程に、彼の好みだという長い髪に戻った。 変わったのは髪の長さだけで、二人の関係は何も変わらない。
珍しく突然降り出した雨にココは窓を閉めると、ぼんやり白く煙る窓の向こうを見つめる。 何か珍しいものや取り立てて彼女の興味をひくものが、そこにある訳も無く。
あの時も雨が突然降り出して…
あれは確かココの父、アロンが珍しく熱を出してしまった為に、卓と卓の両親がお見舞いに訪れていた時のこと。 幸いにしてアロンは軽い風邪ということで、大事には至らず、卓の両親はココの両親と何やら大人同士で楽しそうに談笑していた。 あぶれた子供同士、卓とココは何とはなしに外へ出たのである。 当ても無く、特に盛り上がる会話も無く、ただてくてくと二人は歩く。 まるでお葬式だ、とココはまだ出た事もないが心の中で呟いた。
久しぶりに会えたというのに、卓は何も言ってくれない。 元々饒舌なタイプではなく、むしろ口べたなのは知っているけれど。 ちらりと隣を歩く従兄弟の姿を見ては、やり切れない思いが沸々とわき起こってくる。
卓はまた背が伸びた。 目線が高くなった分だけ卓は色んな事を知って、経験していくのだろう。 ココの知らない世界で生きる卓はどんどん先へ進んで行く。 止まった世界で生きるココを置いて。
「ねえ、どこまで行くのよ」 「俺に聞くなよ」 突っかかった言葉には、ぶっきらぼうな答えしか返ってこない。 それでもココにしてみれば、ようやく声に出して言えた言葉だったのだ。
「何よそれ!」 「別に俺がどこへ行こうと、アンタの知ったこっちゃないだろ」 「何よ…何よ…」
どうしていつもこうなってしまうのだろう。 喧嘩がしたくて傍にいる訳ではないのに。 この次いつ会えるかわからないから、少しでも近くに、少しでも長い時間、隣にいたいだけなのに。 …ということを素直に伝えればそれで済む話なのだが、 ココにはたったそれだけのことが、どうしてもできなかった。
頬に冷たい雫が落ちる。 悔しくて思わず泣いてしまったのだろうかと、ココは慌てて頬を拭う。 その手にもまた一雫落ちてきて、ようやくココは天を仰いだ。
「雨だ」 卓も同じく空を見上げて呟いていた。 見る間に膨れ上がった水の粒が次々に降ってくるのを見て、卓はココの手を取った。
「何するのよ!」 「濡れ鼠になりたくないなら、黙って走れ」
雨が身体を冷やしていくのに、繋がった手が熱い。 高鳴る鼓動が耳の奥にまで響いてくる。 ずっとこのままどこまでも手を繋いだまま、走っていられたら。 いつか卓の目線まで追いつけるのだろうか。 そんな事を考えている間に、繋がった手は何のためらいもなく離されて、一際大きな木の下に二人は座り込む。 肩が触れそうで触れない、そんな微妙な距離を保ちつつ。
こんな近くにいたらドキドキが卓に聞こえてしまう。 でもそれは走ってきたからで、別に卓のことを意識している訳ではなくて… 聞かれた訳でもないのに、ココは心の中で必死に弁解していた。 しかし卓に聞こえたのは、心臓の音ではなく、お腹の虫がぐうと鳴いた音だった。
「腹減ってんの?」 「べ、別に…!」 ぷいと横を向くが、ココの心とは裏腹にお腹の虫は騒がしい。 卓はくすりと笑って、パーカーのポケットから赤い実を取り出した。 「王様へのお見舞いの果物、ちょっとだけ貰ってきたんだ」 卓は悪戯小僧の笑顔で得意げに言うと、自分の服で磨くように実を擦ってから、ココに差し出した。
「何これ?」 「リンゴだよ。そっか、こっちにはないんだ」 「リンゴぐらい知ってるわよ。でも赤くてこんな丸いリンゴって見た事ないんだもの」
渡された艶やかな実をもてあますように、掌に乗せたままココはまくしたてる。 そう、彼女が知っているリンゴというのは、常に纏っている赤い皮を剥ぎ取られた真っ白な実なのだ。 しかも食べやすい大きさにナイフで切ってある状態で。
「これだからお姫様ってやつは…」 仮にも王子と呼ばれてもいいはずの身分である卓は、世間知らずな従姉妹の掌から再びリンゴを取り返すと、しゃりりと音を立てて実を齧った。
「リンゴはこうやって食べるのが一番美味いんだぜ?」 ほら、と再び手渡されたリンゴを受け取ったココは、まじまじと考え込むように見つめた。 それは初めてリンゴという本来の形を知ったからだけではない。 どこまでも遠くへ転がっていけるように丸く、食欲をそそる色に染まった赤い実。 卓と同じように食べれば、卓に少しでも近づけるだろうか。 この果実のように、卓を惹き付ける魅力を得ることができるだろうか。
白くのぞく果実にそっと口づけるように、ココは甘酸っぱい果実を齧った。
「美味しい」 小さな驚きの後、笑顔でココはリンゴを卓に渡す。 「だろ?」 得意げに笑う卓はそれを受け取り、また一口齧る。
一つの果実を二人で食べ終える頃、雨はあがっていた。
遠くを見つめたままのココを呼ぶ声がする。 「ココ様、何か果物でもお持ちしましょうか?」
「リンゴを皮を剥かないでそのまま持ってきて」
「は?」 「いいから!!」 「は、はい…」
お姫様のきまぐれな申し出に最後まで不可解そうな表情を透かせながら、美しい絵皿にぽつんと一つ乗せられたリンゴをテーブルに置くと、 召使いの少女は部屋を出た。
ココはようやく窓辺から離れ、リンゴを手に取った。 繊細なレースであしらわれたドレスの袖で無造作に擦ると、ココは赤い実を齧った。
「…一人じゃ食べ切れないじゃない。卓のバカ」
遅れてしまった4周年記念のお祝いとして「JUST ANOTHER LIFE」しずくさまへの献上品。 な、なんと卓ちゃんver.をしずくさんが書いて下さっています。 思い切ってお届けして、本当に良かった…(嬉泣)
今回初めて卓ココを書いたのですが、正確にはココ→卓ですね。 3部といえばこの二人の恋路の行方にはハラハラさせられました。 想いが通じ合うまでというのは、何とももどかしく切ないものです。
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