閉じた光

 

 

彼女はいつも夢を見る。

それは灰色と黒の濃淡だけの、音も時間の流れもない世界。

愛おしむような温もりなどなく、身を切り裂くような凍えた空気もない。

辺りを振り返れども景色は変わらず、何も、なかった。

 

光を失った空と、彼を永遠に喪った彼女の瞳は共に虚ろで、いつしか彼女もこの世界に溶け込んでしまうのだろうかと、

光の挿さない頭上をぼんやりと見上げてみると、涸れてしまったしまったはずの涙が溢れた。

 

異国で消息を絶ったという知らせを受けてからずっと、彼女の瞳からは血のように涙が流れ続けた。

泣いて泣いて、ひからびてしまうかもしれないと思っても、涙は止まらなかった。

 

「会いたいの…ただ、会いたいだけなのよ…ダーク…」

 

小さな子供のように膝を抱えて泣きじゃくる。

華奢な肩が震えていた。

しかし抱きしめて温めてくれる手を、彼女は持たない。

 

どれくらい虚無の世界にいたのだろうか。

感覚がすっかり麻痺した頃だった。

 

濡れた頬に風が動く気配を感じ、彼女は顔を上げた。

馴染みのある煙草と仄かな香水の匂いに包まれ、最後にあった姿そのままで、彼は彼女の前方に何の前触れもなく立っていた。

 

彼女は初めて安堵の表情を見せて駆け寄ろうとするが、足は塗り固められたように動かない。

どれだけ力をこめても、そこだけが金縛りにあったかのようだ。

助けて、と唇は動くが声が出ない。

震える指先を彼へせめて少しでも届くように伸ばすが、彼は風に揺れる花のように微かに笑い、呆然と立ち尽くす彼女の目の前で、彼はゆっくりと倒れていく。

彼女は喉が張り裂けんばかりに叫ぼうとし、声にならない叫び声をあげた。

 

世界がひび割れていく。

薄墨色の空が鱗のように、欠片となって降ってきた。

 

彼女の柔らかくうねる髪に空の破片が降り注ぐと、ようやく呪縛が解かれたのか、足は地面を離れ、

一歩、また一歩とおぼつかない足取りで彼へと歩み寄る。

目を閉じたまま、動かない彼の身体を欠片が徐々に浸食し始めていた。

操り人形のようにかくんと膝を落とし、彼女は両手をついた。

色のない世界ですら輝きをなくさない、彼の髪に触れようとしたその瞬間、彼女の指を拒むかのように、彼の身体は崩れるように形を変える。

どこからともなく吹き荒れる風が、その形を崩して散らしていく。

 

彼女がかつて愛した男は、冷たい唇も柔らかな髪も全て花びらになった。

それはこのモノトーンの世界で唯一の色。

無数の深紅は小さな竜巻となって渦を作り、天へ昇る。

彼女は手を、指を伸ばすが、それをかわしてすり抜けるように、彼女の手の届かない光の世界へ去って行く。

 

無数の雪片のような薄墨色が、重く降り積もる。

音もなく、ただ静かに。

温度のない雪に、彼女はこのまま埋もれてしまいたいと願った。

 

 

 

 

 

顔色が良くない。少し痩せたか。

男は眠りながらも苦しんでいる彼女の寝顔を見下ろしながら思った。

豊かな金色の髪は、昔と変わらずに輝いてはいるものの、あの日以来彼女は微笑みすら浮かべることを止めてしまった。

 

お伽噺というのは本当は残酷なものだ。

視線の行方は辿らなくともわかっていた。

最初から彼女はあの方しか見えていなかったのだから。

そしてあの方が彼女ではなく、異国の娘に心を奪われるよりもっと前に、決して彼女を選ぶ事はないのだという物語の結末は知っていた。

しかし自分は物語の中心に入ることは許されない。

手を出さずに傍観することが、与えられた役割なのだ。

 

哀しい結末を知らずに突き進もうとしている彼女と、それを知っていながら何も手を下すことが許されない自分と。

決して物語の主役にはなれないと自覚している男は、普段は誰も見たことのない表情を滲ませた。

見ようによっては笑っているようにも、苦痛に耐えているようにも見えた。

 

最早考えても致し方ないことだ。

ただ、眠りながらも悲しみの中にいる彼女を思えば、以前と同じくどうしようもない程の無力感に襲われる。

組織を優先するだけなら、ここまで心を痛めたりしない。

 

もうじき、あの少年がやって来る。

髪と瞳の色。そして若干の身長差を除けば、あの方と瓜二つの少年が。

そして彼もまたあの異国の少女を心から愛しており、他の者が入り込む隙などないことまで、全く同じだ。

 

いっそのこと、彼女は目を覚まさない方がいいのかもしれない。

現実の世界で束の間の甘い夢を見た後に、また奈落の底へ突き落とされるのなら。

 

いっそのこと…この手で…

 

男が彼女の細い首元へ手を伸ばそうとした時、彼女は無意識に寝返りを打ち、咄嗟に男は手を引っ込めた。

 

引きつった表情でため息をこぼした時、男は枕元にある何かに気づいた。

紅い、花弁。

 

何故こんな所に…

 

再び手を伸ばそうとした時、花びらは溶けるように消えた。

どこか懐かしい煙草の香りを残して。

 

 


しばらくの間、拍手のお礼画面に置いていました。

でも内容がちっともお礼になっていないことは、どうぞご容赦くださいませ。

カルロ様はベン=ロウに全てを託したのではないかと思います。

維持することも壊す事も、心から信頼できたベン=ロウになら、

彼がどちらを選択しても、カルロ様は納得するのではないかと、勝手に解釈しております。

なのでカルロ様はベン=ロウの前には姿を現さないのです。

 

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