二人でお茶を

 

 

結婚式を終え、二人はイギリスへ発った。

ジャルパックの扉を使ったため、あまり外国へ行くという実感は二人ともあまりなかった。

どちらかと言えば、小旅行のような感覚だった。

 

元々イギリスに行きたいと言って、話をどんどん進めていったのは蘭世で、俊は何も言わずに任せっきりだった。

特に海外でも国内でもこだわってはいなかったし、あるいは蘭世の勢いに口をはさむことができなかったのかもしれない。

 

そんな蘭世だが、何故イギリスにしたのかは、特別な理由はなかった。

何しろ二人とも外国語はまったくの苦手分野。

それでも新婚旅行=海外という図式が蘭世の中で、ずいぶん前からできあがっていた。

言葉の面ではいろいろ不自由はあるかもしれないが、何とかなるかな、と根拠のない自信があったのである。

今までいろんなことがありすぎた。

とにかく二人でゆっくりと過ごしたかったというのは確かなのだが。

 

「イギリスと言えば紅茶でしょ。なのにどうして喫茶店がないのよ〜〜」

あちこち歩き回って一息つこうと辺りを見回してみても、

見つかるのはパブの看板ばかり。どこにもティールームの文字はない。

「ホテルに戻るか?」

ほんの少しご機嫌ななめの蘭世の表情を楽しんでいるかのように、

俊はくっくっくと笑いを噛み殺していた。

「…アフタヌーンティー、楽しみにしてたのにな…」

蘭世はため息をこぼす。

陶器のティーポットから注がれる紅茶と、何段か重ねたワゴンに乗って運ばれてくる

サンドイッチやスコーン、ケーキ…。それらが頭の中から煙りのように消えていく。

午後の優雅なお茶の一時は、どうやら夢で終わってしまうらしい。

 

するとがっくりと肩を落として灰色の地面を見ている蘭世の頭を、俊はこつんと叩いた。

「見つかった?」

「いや。喫茶店、じゃないみたいだけどな」

彼が指差す方向を顔を上げて見てみた。

真っ白な壁を基調に、濃い茶色の柱。

そして深い緑色のドア。

外観は蘭世が以前写真で見た、イギリスの片田舎にあるような一軒家のようだった。

「?」

蘭世にはまだそれが何の店なのかはわからず、まるで誘われるようにドアを開けた。

壁面にはずらりと蓋付きの大きなガラス瓶が並び、中には何か茶色いものが見える。

そう。たしかに喫茶店ではなかったものの、ここは紅茶の茶葉の専門店だったのである。

 

透明なガラスのキャニスターの前にはそれぞれの名前が書いてあるが、当然の事ながら全て英語表記である。

圧倒的な種類の中からどうやって選んだらいいのか、わかるはずもない。

かといって、言葉が通じないお店の人に聞くことなんてもってのほかなのだ。

量り売りは早々と断念し、ホテルに戻ってからでも使えるようにティーバックと、家でも使えるようにと缶入りの紅茶を探した。

これなら自分で選んだものを持って、お金を払えば最小限の会話ですむかもしれない。

 

思いを巡らせている間も、フレーバーティーのほのかに甘い香りが鼻をくすぐる。

苺、マンゴー、パッションフルーツ、バニラにココナッツ。

でも甘いお茶は、彼があんまり好きじゃないかもしれない。

それともちょっとありきたりかもしれないけれど、ダージリンやアッサム。

並んでいるアルファベットから、何となく推測できるそれぞれの名前。

「どれにしよう…」

手にとった同じ大きさの缶を見比べて、俊に助けを求めるような眼差しを送る。

「…オレがわかると思うか?」

返ってくる答えを期待していたわけではないけれど。

ちょっと困ったような笑顔で蘭世は再び手元に目線を落とした。

 

「あ、ねえ真壁くん、これはどうかな?」

蘭世が俊の袖口をぐいぐい引っ張る。

「イングリッシュ・ブレックファースト?」

「ね、これってなんだかイギリスっぽくない?」

得意げな笑みを満面に浮かべた蘭世の顔を見ていると、俊はついつい悪いと思いながらまた吹き出してしまった。

「ああ。それ、いいかもな」

そしてまたくっくっくと笑いを噛み殺す。

それが何故なのか、今一つ蘭世にはわからなかった。

 

紙袋を胸のところで抱え、蘭世は満足げに店を出た。

「そうだ、一度実家へ電話してみるね」

「ああ」

 

しかしそこで二人の短い新婚旅行は幕が降ろされてしまうことになる。

 

俊は微睡みと覚醒の間を交錯させつつ、やがて目を開けた。

ロードワークの時間だ。

俊は隣で眠っている蘭世を起こさないように、ベッドから出た。

本当ならまだイギリスのホテルに滞在しているはずだった。

蘭世がどれほど今回の旅行を楽しみにしていたか、よく知っている。

残念に思っているはずなのに、蘭世はそんな素振りを欠片も見せない。

しばらく蘭世の幸せそうな寝顔を見ていた俊だったが、やがて静かに寝室を後にした。

 

ドアが閉る音が聞こえたような気がして、蘭世の意識が一瞬はっきりした。

が、すぐに眠りの世界へ引き戻されそうになる。

そして今度はドアが開く音で、蘭世はぼんやりとしながらも、完全に目が覚めた。

「起きたのか」

「おはよー」

目を擦りながら、蘭世は微笑んだ。

 

俊の手にはお揃いのマグカップ。

ゆらゆらと温かい湯気を漂わせている。

 

「飲むか?」

俊は蘭世のベッドに腰掛けて、マグカップを渡した。

「ありがとう、うふふ…」

蘭世は一口飲んで、俊を見て嬉しそうに笑った。

「…なんだよ」

気恥ずかしさを隠すように、俊もまた一口飲む。

「イギリスの貴族みたいだなと思って」

俊が不思議そうな顔でこちらを見た。そして蘭世は続ける。

「イギリスの貴族はね、朝、ベッドまで紅茶を運んできてもらって、それを飲んで目を覚ますんだって」

「へえ…」

「アフタヌーンティーはできなかったけど。アーリーモーニングティーは一緒に飲めたね」

目配せをして笑い、蘭世もまた紅茶を飲む。

 

砂糖もミルクも何にも入っていない。ちょっと濃いめのストレートティー。

温かな紅茶が体も心も暖めてくれる。

それだけで幸せな気持ちになれるのは、

きっとそばに大切な人がいてくれるから。

そんなことをふと考えてしまい、顔が熱くなるのを感じながら俊はまた紅茶を飲んだ。

 


 

かるさんへ1万ヒットのお祝いにプレゼント。

cafeに関することで何か一つ書けたらと思っていたので、「紅茶」を題材にしました。

そこからネットでいろいろ検索しては、使えそうなものをメモメモ。

それが「アーリーモーニングティー」にまつわる記述でした。

別目は「ベッドティー」とも呼ばれ、仕事に出かける夫が、

まだ寝ている婦人の元へ一杯の紅茶を届けてから家を出る習慣もあるそうな。

 

NOVEL