「それではココ姫のご多幸を祝して、乾杯ーーー」

 

大臣の滔々と続く口上の後、ようやく人々はグラスと掲げた。

ココも口元だけの笑顔を作って、軽くグラスを上げる。

父である魔界の王は、超が付く程のご機嫌な様子でこの宴の中心にいた。

本日の主役であるココは、早くこの場から逃げ出したい一心で隙を窺っていた。

しかし次々に挨拶にやって来る魔界のお偉方からの祝辞に、ついひきつりながらも笑顔で応えてしまうココに、そんな機会が訪れるべくもない。

 

先ほどまで傍にいた弟は、いつの間にやら愛良と談笑している。

我が弟ながらレオンはそつがないと言うか、要領がいい。

羨望とも妬みともとれる眼差しを向け、ココはグラスの中身を飲み干す。

 

ーーー卓がいない。

 

別にレオンが誰と喋ろうと、本当はどうだっていい。

問題は愛良の兄、卓「だけ」がこの場にいないことだ。

 

ーーー何やってるのよ、もう!

 

空になったグラスを床に叩き付けてしまいたくなる。

今日は、特別な日なのに。

卓だけに知らせがいっていないはずがない。

何故なら自分で伝えたからだ。

 

「約束よ、必ず来てね」

「あぁバイトが終わったら、必ず行くよ」

そう言って笑っていたのに。

 

大学へ進学した卓は最近バイトを増やしたらしく、どちらが本業だかわからないと彼の母が苦笑混じりに話してくれていた。

仮にも魔界の王族ともあろう者が、何の為にあくせく労働に汗を流すというのだろう。

そんな事を言えば卓はまた

「魔界で生まれ育ったココにはわからない」と壁を作ってしまうのだろうか。

 

俯いて言葉を飲み込んだココに、伯母は優しく笑った。

「ココちゃんへのプレゼントの為かもね」

「わたしの…?」

 

5月31日。ココの22回目の誕生日。

また、卓との年齢差が4つに広がる日でもある。

ただでさえ嬉しくない日ではあるが、誰よりも祝ってほしい人だけがこの場にいない。

 

「それではココさまはお召しかえの為に一旦、中座されま〜す」

司会のサンドが進行表を見ながらマイクを握る。

 

ーーー聞いてないわよ、そんな事。

 

もう我慢の限界だった。

 

「あぁ、ココ姫どちらへ〜〜?」

背後からサンドの慌てふためく声を聞きながら、ココは駆け出していた。

 

長いドレスの裾をつまみ、闇雲にココは走る。

走って、走って、喉の奥が痛くなるまで走って、もうこれ以上は無理だという所で足を止めた。

息があがる。

奇麗に結い上げていた髪も後れ毛が細い筋をつくって、やや汗ばんだ項に張り付いていた。

肩で息をしながら辺りを見回してみると、いつの間にか想いヶ池のほど近くに来ていることに気づいた。

無意識のうちにこの場所を選んでいたことに、ココは口の中に苦いものが広がっていくのを感じていた。

 

飛び込めば、卓の元へ行ける。

いつまで待っても来てくれないのなら、いっそこちらから…

 

だけど会いに行くのはいつだって自分から。

 

ココの胸には卓の「好きだ」という言葉が今も輝いている。

しかし今見えている夜空の星の輝きも、ひょっとしたら今は存在していないかもしれないように、

今でも卓があの時と同じ気持ちでいてくれているのかはわからないのだ。

輝いていると思っているのは自分だけで、星はもう消滅しているのかもしれない。

 

「…っ…く」

歯を食いしばっても、ポロポロと涙が次々に零れる。

悔しいのか辛いのか寂しいのか、何故泣いているのか自分でもよくわからなかった。

 

静まりきった薄い闇がココの嗚咽を吸い取っていたが、何の前触れもなく、突如卓が現れた。

 

「何泣いてんの?」

「た、卓…っっ!!な…何…」

「あ〜あ、髪ボサボサだぜ?」

 

悪びれる素振りもなく、遅れてきた招待者はほつれたココの髪に触れる。

ココの涙は驚きでせき止められた。

身体も動くことを忘れたかのように、身動き一つしない。

しかし沸々と静かにたぎってきた感情が、再びココの目を覚ます。

 

「遅い〜〜〜!!」

 

あまりの甲高い声に、卓は目をぱちくりとさせた。

 

「最近の卓はずっとバイト、バイトって、ちっとも会いにきてくれないじゃない」

胸の奥に詰まっていた言葉が次々に出てくる。

鉄砲水が木々をなぎ倒して流れていくように、もうココにも止めることはできない。

「わたしばっかりがいつも卓を追いかけてる。もうこんなの嫌よ!!」

 

ココは両手で顔を覆うと、瞬く間にその手を涙で濡らした。

卓はただ黙って、ココの感情の全てを静かに受け止めていた。

 

「こっちに…人間界に、来ないか?」

「…え?」

ココが顔を上げると、真剣な瞳の卓と視線がぶつかった。

 

「おれ、家を出ようと思っててさ」

照らす月の光のように穏やかで静かな声が響く。

「その時は…おれはココと一緒に暮らしたい」

 

さっきまで散々泣いて、もう涙なんて出ないと思っていたのに、また視界が涙で歪んできた。

堪え切れずにココは両手を伸ばして、卓の胸へと飛び込んだ。

子供のように泣きじゃくるココを包み込むように、卓はしっかりと抱きしめた。

 

「いつになるかわかんないけど、いつか…必ず迎えにいくから」

卓の声が耳に、ココの身体を通して胸に伝わってきた。

ぽんぽん、と子供をあやすような卓の手がココの髪に触れる。

卓はいつの間にこんなに背が伸びていたのだろう。

いつの間にこんな優しい手を持つようになったのだろう。

 

また涙が溢れてしまうのをぐっと堪えていたが、言葉にならずに頷くとまた一粒落ちた。

 

「おれって年上泣かせだよな」

笑って卓はココの涙を指で拭う。

「年上だけ余計よ」

ムっとして睨みつけたが、卓はやんわりと包んで受け止めてしまった。

溜め込んでいた感情が全て吸い込まれてやや気後れした後、ココは目を逸らすタイミングを失ったまま卓を見つめていた。

あの頃よりも伸びた金色の髪が風に揺れた。

それが何かの合図のように、二人の距離が更に縮まる。

ココは目を閉じてその瞬間を待った。

 

「見〜つ〜け〜ま〜し〜た〜ぞ〜、ココさまお召し替えを〜〜」

頭に葉っぱやら小枝やらをくっつけたままのサンドが、草むらを掻き分けて乗り込んできた。

慌てて二人は後ずさりして、何事もなかったかのような表情を取り繕う。

 

「おや、卓殿ではありませんか。皆様お待ちかねでございます。ささ、参りますぞ」

不自然な二人の態度に何の疑問を差し挟むこともなく、任務にあくまでも忠実なサンドの言葉に、卓とココは顔を見合わせてこっそり笑った。

 

「…本物のアパートの鍵はまだだけど…」

せかせかと先を急ぐサンドの影に隠れるようにして、卓はポケットから何やら取り出してココの手に握らせる。

 

ひんやりとした感覚を掌に感じた後、ココは月光にかざしてみた。

魔界の月に照らされたそれは、人間界の月のような色の鍵型をしたブローチだった。

 


卓は「いつか…」という言葉が図らずも親父と一緒になったなんてことは、多分知らないはずです。

遺伝子のなせるワザなのかもしれません(笑)

で、ココのほうもブローチの由来などは知りません。多分知らせる役割は愛良が担うはずです(笑)

それでまた一つ書けるか…(か、書けるのか?)

 

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