彼女が学校を休んだ理由
その日、珍しく蘭世は学校を休んでいた。 風邪をひいたらしいと、なんとなく張り合い無さそうな表情で曜子が教えてくれた。
いつも通りの元気印。笑顔で別れたのはつい昨日のこと。 体調が悪いような、そんな徴候は見られなかった。 何かあったのだろうか。 授業中。放課後。昨日と同じ風景。 その変わらない日常の中、蘭世だけが欠けていた。 何をするにつけ、気がつけばまた蘭世のことを考えている自分に気がつく。
今日ほど時間がたつのが遅く感じられたことはない。 クラブの時間でさえ、煩わしく思われた。 本来ならば無視して江藤家へ直行したいところである。 が、そういう訳にもいかない。
「なあ、真壁。今日、江藤休みなんだって?どうしたんだ?」 「…知らねぇよ」 克の問いかけにも、いつも以上にぶっきらぼうに答える俊。 「機嫌悪ぃな〜〜」 俊は克の冷やかし混じりの声にも、もはや耳を貸そうとしなかった。 黙々と、淡々と、決められたメニューをこなし、時が過ぎてくれるのをただ待つばかり。 忌々しくも自分を高い所で照らし続ける太陽を、俊は時折睨み付けた。
それでもあくまでもいつもと変わらない早さで、時間は流れる。 ようやく茜色の雲の中に太陽は沈み行き、対極の空に薄い白色の三日月が顔を覗かせる頃になった。
「克、ごめんなさいね。生徒会が長引いてしまって…あら真壁くん」 部室に顔を出したゆりえと、誰よりも早く身支度を済ませた俊はドアの所で出くわした。 「なんだあんたか。日野はまだ着替えてるよ。じゃ、俺急ぐから」 「あ……」 何か答えようとしたゆりえだったが、すでにそこには俊の姿はなく、ただ呆気に取られるだけだった。
先ほどまで体が悲鳴をあげるほど酷使していたとは思えないほど、 俊にはまだ全速力で走るだけのスタミナが残っていたらしい。 途中、信号待ちに引っ掛かったことを除いては、江藤家に到着するまで俊は走り続けた。 そして息を整えてから、チャイムを鳴らす。
「あら真壁くん。どうぞ中に入ってちょうだい」 にっこり笑って椎羅がドアを開けた。 「あの…具合、どうなんですか?」 「そうねぇ、朝方は熱があったんだけど、今はだいぶ良くなったみたいよ」 「会ってもいいですか?」 「ええ、もちろんよ」 二人は階段を上がり、蘭世の部屋へ向かう、
「蘭世、真壁くんがお見舞いに来て下さったの。開けるわね」 「は、は〜〜い」 ドアの向こうから、思っていたより元気そうな声が聞こえていた。 俊はひとまずほっとする。 「じゃ、ごゆっくり…」 何だか意味ありげな笑顔を残して椎羅が部屋を出た。
ぱたん。ドアが閉る。 急に静けさが訪れて、俊は話し掛ける言葉がなかなか見つからない。 「ごめんね、真壁くん」 ベッドの中から、申し訳なさそうな声で蘭世が呟いた。 「謝ることねーよ。それより大丈夫なのか?」 「うん。熱はもうほとんど下がったから。それよりも…」 蘭世はそこで口籠る。 「どうした?」 「今日、真壁くんの誕生日だったのに…」 目を潤ませて、蘭世は俊を見つめた。 「そんなこと、構わねーよ」 「良くない!!!」 俊は優しく笑ったが、蘭世は勢い良く上半身を起こして反論する。 その時、俊の足元に何か転がってきた。 それを拾ってまじまじと見た後、「しまった」という顔をして小さくなっている蘭世の布団を引き剥がした。
蘭世の膝の上には編みかけのセーターと思しきものが隠されていた。 慌てて蘭世は布団を被せて隠そうとするのだけれど、時、すでに遅し。 おずおずと俊を見上げた蘭世の頬に俊は手をのばす。 長い髪の間に指を滑らせ、蘭世をじっと見つめた。 「ま、真壁くん…」 熱は下がったはずの蘭世の顔は熱く、赤みを帯びて耳まで染まっている。 そして俊の唇がゆっくりと蘭世に近づいてきた。 どきん。鼓動が一気に加速する。
その瞬間。 「バカヤロウ!!!」 完全に赤く染まった蘭世の耳を引っ張り、俊は耳もとで思いきり大きな声で怒鳴った。 地下室で眠るご先祖様達が、びっくりして飛び起きてしまいそうな。 お茶を入れていた椎羅が危うくポットを、手から滑らせてしまいそうな。 そんな声だった。 蘭世はまだ耳の奥でこだましている声に頭を揺さぶられながら、両耳を押さえていた。 「…ごめんなさい。バレンタインの時に(例によって)間に合わなくて。それでせめて真壁くんの誕生日までには間に合わせようと思って。 でもなかなかはかどらなくて…。夕べ徹夜してたら風邪ひいてしまったの。ほんとにほんとに、心配かけてごめんなさい。」
うつむいて、未完成のプレゼントを握りしめる蘭世の両手にぽたり、涙が落ちてはじける。 「それ、今年の冬までには間に合わせてくれよ」 いつのまにか俊の手が蘭世の頬を伝う涙を拭い、優しく微笑んでいた。 気がついた蘭世は俊を見上げる。 「…うん」 蘭世は泣きながら、くしゃくしゃの笑顔で答えた。 濡れた頬を包んでいた俊の手は、やがて蘭世の髪の中に入り込んだ。 俊と視線がぶつかり、落ち着いていた蘭世の鼓動が、また加速度をあげる。 そしてゆっくりと俊の唇が近づいてきた…。
(困ったわね〜〜。お茶が冷めてしまうんだけど。でも今、入るわけにはいかないわよねぇ…) ドアの向こうではお茶を運んできた椎羅が、ドアをノックしようかどうかで躊躇していた。
そして翌日。 「あれ?江藤。真壁は?」 「う、うん…それがね…」 克の問いに、蘭世は言い淀む。
ピピッ、ピピッ。 俊はくわえていた電子体温計を離し、だるそうに目の前まで持ってきた。 「…38度5分か…」
yokoponさんへプレゼント。(バースデー企画) 彼女が学校を休んだ理由はこういうことだったのですが、 彼が風邪をひいた理由はなんでしょう(笑)? とりあえずこの後蘭世が看病しにくることは、間違いありません。
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