未来からの贈り物

 

 

 

「ねぇあなた、この子はどっちに似ているかしら?」

椎羅は臨月を迎えたお腹を優しくさすりながら言った。

まだ見ぬ我が子の頭を撫でるように、何度も。

「そうだなぁ…きっと君に似て美人な女の子だろう」

 

思い描く金髪の少女の姿は、目の前の椎羅の少女時代の頃をーー実際は見た事は無いがーー彷彿とさせた。

 

「あら違うわ。あなたに似た黒い髪の男の子よ。だってこんなに元気がいいんだもの」

母親ならではの直感なのか、自信たっぷりに答えながら椎羅が笑う。

「わたしに似た男の子だって!?」

書庫に引きこもりがちな本の虫を想像してしまったわたしが

頓狂な声をあげると、ぴたりと椎羅の手がとまった。

にこやかだった口元はそのままに、まずは目から笑顔が消えた。

やがて辛うじて残っていた微笑も、沸き上がってきた別の感情の前に消え失せた。

 

険悪な空気を感じてわたしは表情を固まらせた。

「あなたに似ていてはいけないの?まさか…あなたこの子が自分の子供じゃないと思っていらっしゃるの?」

自らがなげかけた疑問を自らの力で肯定に変えてしまった椎羅は、

眉をつり上げたかと思うと耳をはやした。

「し…椎羅?」

わたしは暗雲がたちこめる様を思い描いた。

「やっぱりあなたは狼女なんかと結婚したことを後悔してるんだわ!」

 

我が家の空模様はあっという間に雷雨に変わった。

 

どうしてこうなるんだろうね。まったく。

生まれてくる子供がどちらに似ているかで口論が始まるなんて。

夏の夕立のように突然降り出した豪雨はしばらく止む事が無かった。

 

ようやく嵐がすぎさった。

それは仲直りができたからではなく、

季節外れの台風が荷物をまとめて実家に帰ってしまったからだ。

 

ようやく双方の実家と和解できたのは良かったが、

椎羅がことあるごとに実家に帰るようになってしまったことは予想外だったな。

わたしは主がいなくなったキッチンに立ち、一人分の紅茶をいれた。

揺れる湯気はいつもだったら心を安らげてくれるが、

彼女のいない今は却って一人でいることを感じさせられる。参ったな。

 

茶葉が開ききってから放ったらかしになっていた紅茶は、

ぬるくてひどく苦かった。

ほとんど飲み残したままの紅茶をそのままに、わたしは書斎へ戻ろうとした。

その時誰もいないはずの地下室から物音がした。

 

「椎羅、帰ってきたのかい?」

わたしは足取り軽く、地下室の階段へ続く部屋のドアを開けた。

「いたぞ、あそこだ!!」

目の前にいるのは愛する妻の姿などではなく、

揃いのトレンチコートに身を包んだ闖入者たちだった。

その姿から魔界人であることは間違いないのだが、

明らかな敵意を感じたわたしは脊髄反射的に駆け出していた。

「待て!」

 

と言われて待つ馬鹿者はいない。逃げるが勝ちだ。しかし、

「おまえの家族がどうなってもいいのか?」

その声に足が凍り付いたように固まる。

「何!?」

振り返ったわたしの胸に、突然忌まわしくも熱い何かが張り付いてきた。

振り払ってしまいたいが、

胸を締め付けられるような苦しみに、わたしはただもがくばかりだった。

 

何故同胞からこんな仕打ちをうけねばならないのだ。

一体わたしたちに何の咎があるというのだ。

それよりも椎羅は、子供は無事なのだろうか?

 

息も絶え絶えになりつつも、わたしは思いつくままの疑問を投げかけた。

彼らは案外あっさりと答えてくれた。

もっともわたしが真実を知ったところで、痛くも痒くもないからだろう。

 

彼らは未来から来た魔界人。将来わたしたち(子供も含めて)魔界の大王様に反旗を翻すらしいので、今のうちに根絶やしにするため。

わたしを殺してしまえば椎羅には手出しはしないという…

 

大王様も罪なことをなさる。

命だけでなく、もうじき父親になる喜びまで奪ってしまわれるのか…

椎羅、産まれてくる子供は最初が女の子で次は男の子だそうだよ。

だけど男でも女でもどちらに似ていても可愛いに決まっている。

だって、わたしたちの子供なのだから。

最後に一目君にも、子供たちにも会いたかったよ…ランゼとリンゼに。

 

十字架をつきつけてもすぐに灰にならなかったわたしを見て、

彼らは何か言い争いをしているようだった。

伊達に人間界に住んでいるわけじゃない。

ある程度の耐性はできているんだ。

と見栄をきってみても、

椅子にしばりつけられたままでは反撃に打ってでることもできない。

文字通り手も足も出ないわたしに、とどめとも言うべき案が出された。

 

「じき夜が明ける。吸血鬼は朝日を浴びると灰になるんだ」

 

たしかにカーテンの隙間からのぞく夜の闇は、もう随分薄れてしまっていた。

皮膚がちりちりと炎で炙られるように熱い。

そしてドアが何の前触れもなく開いた。

 

「どなた?」

おっとりとした調子で椎羅が立っている。

愛すべき日常の一コマにとけ込んでしまう程、

椎羅は非日常的な事態が起こっていることにまだ気づいていない。

 

やがて焦った奴らのうちの一人が、銀色の弾丸をこめて引き金をひいた。

 

瞬きほどの間に椎羅は崩れるように倒れ、目的を達した彼らは魔界へと急ぐ。

何もできずにいるわたしはただ無闇に椅子を揺らし、声を荒げるのみだった。

「十字架を…縄をほどいてくれ!」

由緒正しき吸血鬼の血をひいていたって、それが何だ。

こんな大事な時に何もできないわたしはあまりにも無力だ。

 

もどかしく解かれていく縄をくぐり抜けると、

わたしは変わらず床に伏したままの椎羅へ駆け寄った。

 

息は…?まだある。怪我は…?血は出ていないようだ。

倒れた時のショックがお腹の子供に影響が出なければいいのだが。

ご先祖様に助けを求めに行きたいところだが、

この状況ではご先祖様にまで迷惑をかけてしまうだろう…。

椎羅の確かな温もりを感じながら、わたしはあれこれ思いめぐらせていた。

 

気づくと部屋の中には未来からの刺客たちは既にいなくなり、

代わってマント姿の少年が一人、黒髪の少女が一人。

そして後から彼女の元へ駆け寄る金髪の男の子が一人。

彼女をお姉ちゃんと呼んだということは、

髪も瞳の色も違うが二人は姉弟ということか。

 

二人はわたしを潤んだ瞳でじっと見た。

どこか懐かしむように、愛おしむように愛惜の念を混めて。

いつかわたしはこの少女に出会ったことがあるのだろうか?

随分と長く生きているつもりだが、そんな覚えはなかった。

わたしは彼女の名前を呼ぼうとした。

間違いない…この少女は…

 

「さよなら」

今にもこぼれ落ちそうな涙を一杯にためたまま、

少女はにっこり微笑んで弟の手をひいて去っていった。

とうとう何一つ確かめられないまま、

まるで何事もなかったかのようにドアの音がぱたんと閉じられた。

 

 

 

 

それから数日後、椎羅は女の子を産んだ。

「ほら、やっぱりあなたによく似てるわ」

満足そうに椎羅はよく眠っている赤子をわたしに手渡す。

まるで壊れ物のようで、

どう扱っていいのかわからないわたしを冷やかしながら

椎羅が微笑んでいる。

小さくも命の大きさを両腕に感じながら

わたしは柔らかな黒い髪の彼女を抱いた。

 

「あぶう」

覗き込んだわたしと丁度目を開けたばかりの彼女の視線は、

思いがけずに合ってしまった。

 

わたしと同じ黒い髪。そしてあの時の少女と同じ黒い瞳。

「ランゼ…」

柔らかな彼女の頬に、わたしが零してしまった涙がぽたりと落ちた。

「あらあら、あなたったら。もう名前を考えていらっしゃったの?」

椎羅がいつもいれてくれる紅茶の湯気のように優しく笑う。

 

また会えたね、ランゼ。

大きくなった君は、お父さんの命を救ってくれるんだよ。

わたしは去りゆくあの少女の姿を思い浮かべながら、心の中で呟いた。

 

 


 

リクエストを下さったかのこさまへプレゼント。

コミックスを読み返した時、お二人の喧嘩の原因って何?

から始まり、どうしてもこの場面を書いてみたくなりました。

久しぶりに望里さんのお話を書いたのですが、やっぱりいいなぁ望里パパww

NOVEL