「たしかこの辺にしまっておいたはずなんだけどなぁ…」

 

押入れに身体の半分が入り込んでしまった蘭世が、両手と両膝をついて暗がりの向こうを覗き込んでいる。

ボストンバッグ一つでこの部屋で暮らし始めた時から、俊の知らない間にこの押入れにも何がしかの物が収まっていた。

洗い替え用のシーツだったり冬用の布団だったり。そのどれもが蘭世が少しずつ江藤家から運んできたものであり、バザーなどで格安で手に入れたものだったりする。

それでもかさ張る布団を除けば掻き分けるほど荷物が多い訳ではないし、ほどなくして、彼女の探し物は見つかるだろう。しかしそれが何であるのかか、俊は知らない。

 

「何探してんだよ、さっきから」

「やっと見つけた」

膝をついた状態で一歩ずつ下がって、蘭世がようやく押入れから出てきた。手には見慣れた懐かしいもの。

 

「捨ててなかったのか、それ」

「うん」

どこか誇らし気に蘭世は胸に抱く。

「ね、着てみて」

そして蘭世はそれを差し出す。あの時と変わらない期待に満ちた笑顔は、俊のほろ苦い記憶の中でまだ褪せずに残っていた。

 

 

 

「ねえ、着てみて着てみて」

 

着せ替え人形のようで恥ずかしいとも思ったが、蘭世が喜ぶならと俊は見慣れないシャツとズボンを身に着けることにした。

しかしシャツを着れば肩のラインはずれ、指先をぴんと伸ばしても隠れてしまう程の袖の長さ。

ズボンはそのまま足を通せば裾は易々と地面に届いた。

不格好そのものの姿に、蘭世は楽しそうに俊の袖や裾を捲り、ネクタイの結び目をわざとだらしなく緩めた。

仕上がりに満足して懐かしそうに微笑んだ蘭世だったが、夕日が稜線へ沈んでいくように静かに笑顔は消えていった。

言葉にしなくても俊にはわかってしまった。蘭世は目の前にいる自分を見ているのではない。

かつて同じように着ていた、俊の知らない「真壁俊」の姿を蘭世は見ていたのだ。

年下でこんなぶかぶかの制服を着ている自分ではない。

恥ずかしいという気持ちはすでになく、身代わりでしかない自分の情けなさと溢れ出す涙を拭ってやることすらできない無力さに打ちひしがれるのみだった。

 

ーーーー抱きしめるには、この手はあまりにも頼りなくて、足りない。

 

 

 

「真壁くん?」

蘭世の声にふと我に返り、俊はおもむろに着ていたTシャツを脱ごうと裾に手をかけた。

「ちょ、ちょっと待ってよ、わたしあっちに行ってるからっっ」

もの凄い勢いで蘭世は立ち上がって台所へ走った。

「こんなの見慣れてるだろーが」

「み、見慣れてませんっっ」

後ろ姿で顔は見えなかったが、湯であがったタコのようになっているのは間違いないだろう。苦笑ひとつこぼして、俊はまた着替え始めた。

 

「終わったぞ」

実を言えば着替えは随分前に終わっていたのだが、なかなか声をかけることができずにいた。

眉間に皺を寄せて、やがて何かを諦めたかのように溜め息をついた。

意を決した俊が、まだぎこちなく背中を向けたままの蘭世に声をかけると、ようやく熱が去って落ち着きを取り戻した蘭世が戻ってきた。

 

「あ…」

 

バツが悪そうに腕を組んで立っている俊を見て、蘭世はぷ、と吹き出した。

「だから嫌だったんだ…」

窮屈そうなシャツの袖からは勢い良く手首が突き出し、ズボンの裾からはくるぶしが覗いている。つまり見事なまでの「つんつるてん」だった。

 

「ごめんごめん。でもどうしよう。袖は捲ったらわかりにくいとして、問題はズボンの裾よね」

蘭世の言うように、中学時代の俊の制服の着方からすればシャツもブレザーも袖を捲ってしまえば当時のままだ。しかしこの中途半端な丈のズボンだけはどうしようもない。

「いいよ、面倒くせえ。このまま行ったらいいんだろ?」

しかし言い終わらないうちに蘭世からの猛反発をくらい、俊は前言撤回を余儀なくされる。

 

「丈出しできるかな〜〜〜」

いつの間にか両膝をついて、蘭世は手際良く裾を外側へ折り返し縫い代を確認していた。

呆れるというか、感心するというか。しかし俊は久しぶりに袖を通した時に気づいていた。

こんな酔狂な企画さえなければ、中学の制服なんて二度と着ることなんてないはずなのに。

ましてや捨ててしまってもいいものなのに、いつの間にかちゃんとクリーニングに出してあったことを。

蘭世が今でも制服を大事にしていることがよく伝わってくる。

 

「うん。折り目がちょっとだけ残っちゃうけど、なんとかなりそう」

俊にはまるで訳のわからないことだったが、満足そうな蘭世の笑顔にほっとする。

 

「おまえの制服は大丈夫なのか?」

「たぶん大丈夫だと思うよ」

 

俊の視線は蘭世の頭の天辺から順に視線は、身体のラインをなぞるように足元まで降りてきて呟いた。

「だよな…」

 

「どういう意味よーーー!!!」

顔を真っ赤にして蘭世が両手で拳をつくって、俊へ向ける。

怒りよりも羞恥が勝っているから振り上げられたまま、蘭世の両手は俊に触れる寸前の宙で止まったままだ。

「悪かったって、そう怒るな」

俊は蘭世の手首をつかむ。引き寄せるような形になった反動で、蘭世の髪が波打つように静かに揺れて凪いだ。

 

空気までもが止まった。

 

子供だった頃、この制服が似合うようになれば、全てが解決すると思っていた。

しかしサイズが合わなくなった今でもまだ、自分はあの頃のままなのかもしれない。

蘭世の瞳が先ほどの照れを残しつつも戸惑いで揺れている。俊はつかんでいた手首を離した。

鳥籠から小鳥を逃がすようにそっと。そして両手をのばす。

 

ーーー手をのばしても足りないのなら

 

内なる声が耳朶に触れた。そして俊の心に反響して共鳴しあう。

サイズの合わない制服を着た、背丈のまるで違う二人の姿が時を越えて重なりあった。

俊の両手が静かに蘭世を包み込むと、蘭世もまた俊に寄り添うように身体を預けた。

 

ーーー足りない分だけ、歩みよればいいんだ

 

俊はしばらく虚空を見つめた後静かに目を閉じた。すると心を震わせるように声がして、やがて消えた。

 


(あとがき)

ネタに困ると「12歳真壁くん」を登場させてしまっているような気がしないでもないです。

「制服」と聞いて真っ先に「着せ替え人形」〜「蘭世の告白」に至るあの名シーンが蘇ってきました。

なのにお祭りの時には、まったく違うものを書いておりました。今でも不思議です。何故だったんだろう。

 

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