答えは君の手の中に
蘭世は洗濯物をたたむ手を休め、ぼんやり遠くを眺めていた。 俊が魔界の王子として生まれ変わり、ようやく12歳になった。 あと少しでまた元の16歳の姿に戻るだろう。 だが、その日が本当にやって来る保証はない。 打ち消しても、打ち消しても、闇の底から湧き上がってくる不安。
「―――今、泣いてただろ」 戸口のところで俊が腕組みをして立っていた。 「や、やあね、泣いてなんかないわよ」 その声でようやく彼の存在に気付いた蘭世は、 彼女のとなりに積み上げられていた洗濯物を両手に乗せると、彼のそばを慌てて通り過ぎようとした。 「嘘つけ。目が赤いじゃねーか」 俊が横目で睨み付ける。 「泣いてなんかないもんっ!!」 パタパタとスリッパの足音が遠のいていく。 「俺のせいか…」
物心がついた時には、既に彼女はそこにいた。 まるで母親のように、あるいは姉のように…。 いつからだろうか、彼女を特別な存在として感じるようになったのは。 彼にとって彼女は、誰よりも守りたい女性。 それなのに、彼女を苦しめている―――自分の存在。
俊は時折、彼女が自分の中のもう一人の自分を見ていることを、感じ取っていた。 16歳のまだ見ぬもう一人の自分。彼女が恋をしていた自分ではない、別人。
「あ、いたいた俊くん」 「なんだ、鈴世かよ」 「あのね、今お姉ちゃん、買い出しに行ったんだけど、帰りはすごく荷物が重たいと思うんだよねー」 鈴世が意味深な笑顔で、俊をジッと見つめる。 「だったら、おまえがついて行けばいいじゃねーか」 「だめだよ。僕は今から学校の宿題があるもの。それに、君が行った方がお姉ちゃん、喜ぶし。それにね…」 鈴世は何やら俊に耳打ちをした。
うまく鈴世に言い包められてしまった感のある俊だったが、言われた通りの店へと急いだ。 彼が到着すると、丁度大きな紙袋を抱えた蘭世が、店から出てきた。 「あら、俊くん。迎えに来てくれたの?」蘭世が嬉しそうに駆け寄る。 俊は、「それ、かせよ」と言おうとして手を差し出しかけたが、その言葉が言い終わらないうちに、 「蘭世ちゃん」と、聞き覚えのある声が、それをかき消してしまった。 「筒井くん!」 「買い物の帰りかい?家まで送って行くよ。あれ…おまえ、真壁か?また成長したな〜」 そう言いながら、筒井はあっさり蘭世の抱えていた紙袋を取り上げてしまった。 俊は自分よりかなり目線が上にある筒井を、黙って見上げた。 「あのさ、俺ちょっと、寄るところあるから…」 そう言い残すと、俊は逃げるようにその場から離れた。
今改めて、年令の差を思い知らされたようで、やりきれなかった。 ぶつけようのないいら立ちを抱え、彼はひとしきり走ったが、しばらくして、彼はとある場所で足をとめた。
一方蘭世は、遠ざかって行く俊の後ろ姿が心にひっかかっていて、筒井の話も上の空で家路に着いていた。 玄関先で筒井に礼を言って別れると、沈んだ気持ちのままキッチンへ向った。 冷蔵庫に買ってきた食料をしまい込み、ドアをパタンと閉めると、蘭世はふうっとため息をついた。
赤ん坊だった彼がどんどん大きくなり、今では彼女の背を追いこしていた。 本当は知らないはずだった、彼の成長の過程は、彼女にとって宝物のような時間だった。 だが、どんどん縮まっていく距離が、時々息苦しいほどせつない時もあった。 もう彼は、小さな子供ではないのだ。 「真壁くん…」蘭世は呟いた。
「なんだよ」 「〜〜〜!!んもう、驚かさないでよ〜」 腰をぬかしていた蘭世がようやく立ち上がろうとすると、目の前に飛び込んできたのは、一輪の花…
「え?」 「やるよ。今日、誕生日だろ」 蘭世はまだ目を丸くさせている。 「忘れてた…」そしてまたぺたんと座り込んだ。
俊の手から照れくさそうに差し出された薄桃色の花を、蘭世は大事そうに両手で受け取った。 ちゃんととげが取り去られているので、茎に触れても痛くない。 「16歳だな」 「うん…」
縮まった距離がまた少し広がってしまった。 蘭世は複雑な表情で、開きはじめたばかりの花を見つめた。 やわらかい花の香りが鼻をくすぐる。 「俺、すぐ追いつくからさ…だから…」
うつむいていた蘭世の視界に、突然影ができた。 不思議に思った蘭世は、ゆっくり顔を上げた。 「!!」
それはほんの一瞬だった。
唇が離れるまでの長い一瞬の後、二人の視線がぶつかった。 あまりに突然で、予想外の出来事に、蘭世はまだ頭の中が真っ白になっていて、瞬きすら出来ずにいた。 照れを精一杯隠しながらも、情熱は隠しきれない俊のまっすぐな瞳に、蘭世はようやく事態を飲み込み、急激に顔を赤らめた。
一方俊も我知らずとってしまった行動に、まだすこし動揺していたが、表面上では既に落ち着きを取り戻していた。 「まままま、真壁くん…?」
「いつまでも、子供扱いすんなよな」 ボソッと呟いて、俊はその場を離れた。 残された蘭世は、まだ顔を真っ赤にさせたままでしばらく座り込んだまま、動けずにいた。
その手の中にあるものは、ピンクのバラ一輪。
鈴世は手にしていた本のページをパラパラとめくった。 「花言葉って、いろいろ意味があるんだ…えーと、我が心、君のみぞ知る…とげ無しは、幼い頃から好きでした。ふーん…」
かるさんへプレゼント。 嬉し恥ずかしの処女作です。 かるさんが以前に描いておられた、 蘭世と12歳俊くんのイラストが、わたしのストライクゾーンに綺麗に決まりました。 きっとこの頃俊は蘭世のことが好きだったに違いない!と決めつけて書きました(笑) この後かるさんからと、yokoponさんからも挿し絵を頂き、 とっても幸せにさせてくれた作品です。
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