冬の花火
「よく歩いたねー。真壁くん」 「ああ、こんなに長いとは思わなかった」
写真で見ていたのと実際歩いてみるのとでは大きく違い、光の回廊を人の波に身を委ねてゆっくり歩いていると、最後に辿り着く広場まで意外と時間がかかってしまった。 俊はコートの袖からのぞく腕時計を盗み見た。 日没から随分時間が過ぎており、光と闇のコントラストはより明確になっている。
「なあ、江藤」 「なあに?」 「二駅ほど離れた海岸で花火が上がるらしいんだけど、」 見に行くか?と俊が言い終わるのを待たず、 「行く!」 蘭世は俊のコートの裾を掴んで引っ張った。 まるで小さな子供のような仕種だと俊は思ったが、口にはしなかった。 吹き出しそうになるのを堪えて下を向く。
二駅離れているという微妙な距離。 ましてや丁度、その半分の長さを歩いてきたのだ。 そこへ行くには今歩いてきた方向を逆戻りしなければならない。 迷うまでもなく大通りに出て、俊はタクシーを拾う。
渋滞する道をとろとろと走るうち、車が止まった。 タクシーを降りると、吹いてくる風が二人を出迎えた。 「なんだか、こっちの方が寒いね」 蘭世が肩を竦めながら、俊を見上げる。 「海の側だからな」 俊がコートのポケットに両手を突っ込むと、堅い異物が彼の片手をつっ突いた。 今夜の俊の意識の隅には、いつでもこの小さな箱の存在がある。 もちろん、蘭世はまだ知らない。
すっかり葉を落とした街路樹には、幹にも枝にも電飾が施され、海までの道を明るく照らしている。 その先には遊園地があるらしく、ライトアップされた観覧車が色を変えながらゆっくり回っている。 少しばかり歩いた先に埠頭があるが、既に見物客でここも賑わっていた。
海は夜空の色を取り込み、周りのイルミネーションの反射がなければその境目もわからないほど暗い。 その冷たい夜の海の上を渡ってやってくる風は、叩き付けるように容赦なく吹いてくる。 蘭世は白い吐息で自らの両手を温めていた。 俊は黙って蘭世の手を取り、自分のポケットの中へと導いた。 どきん、と蘭世の心臓が弾けた。 何度も手を繋ぎ、幾度となく唇を重ねても、 それでもこんな時蘭世はいつも同じように胸が高鳴る。 外気にさらされていた互いの手はまだひんやりと冷たいが、蘭世の頬が赤く染まる。 (ずっと、こうしていたい。このまま時間が止まればいいのに) 蘭世は瞳を閉じて強く思った。
「始まるぞ」 俊の声に、蘭世は慌てて目を開けた。
暗幕のような夜空に光の筋を残し、花火が打ち上げられた。 ゆっくりと俊は蘭世の耳もとへ顔を近付けて、彼女にだけ聞こえるように言葉を送る。 「え…!?真壁くん…今、なんて…?」 その時、真っ暗な空と海とに大きな菊の花が同時に咲いた。 花は満開になったその姿を留めることなく、水面に降るように花びらを散らせていく。
顔を真っ赤にした蘭世が俊を見上げる。 少し遅れてどーんと大きな音が二人の体の芯まで響いた。 照らし出される俊の顔は、いつもより優しく笑っているように見える。 蘭世は何か言おうとするが、声にならない。 先ほどよりも心臓が激しく音をたてている。 その間も一つ目の花が消えないうちに、次々と刹那の花が夜空と海とで咲いては消えていく。 光と音が交互にやってくる中で、 心を静めようと努力しながら蘭世は何度も俊の言葉を反芻した。 間違いなく俊の声が、彼らしい飾り気のない素直な言葉が耳に残っている。
遅れてやってくる花火の音のように、大きな驚きはやがて喜びへと変わる。 夜空の花火を全部集めてもまだ足りないほどの光が、俊のポケットの中で待っている。 やがてそれを蘭世は知ることになる。
愛ある世界(柚子書房)さまへの投稿作。 名義はなおみです。 この花火は実際神戸駅の近く、「ハーバーランド」でやっております。 海からの風が非常に冷たくて、長居はできません。 ご覧の際はどうぞあったかくして、お出かけ下さい。
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