flame
ココは不機嫌だった。 それというのも、鈴世となるみの結婚式がせまってきたからである。 一時は自分との結婚が決まったも同然だったのに。 鈴世は未来の王様になるはずだったのに。
優しくて、おひさまみたいな笑顔の鈴世。 彼が手の届かない存在になることも、もちろん許せないのだが、何よりも魔界人の能力を、なるみの命を救うために投げ出してしまったことが、ココにはおもしろくなかった。
大好きな人が、自分以外の他の女性と結婚する。 悲しいなんて、めそめそした気持ちはなかった。 ただ納得できないのである。
しかしココ一人がどんなに反対しようと、覆るはずはない。 もはやどんなわがままを言ってみたところで、父も聞いてはくれなかった。 ますますココは頬を膨らませた。
苛立ちがおさまり切らないココは、一人で城をこっそりと抜け出した。
湖のそばの小道をしばらく歩き、森の中へ入る。 常緑の葉が、頭のずっと上の方で風に揺られて音を奏でている。 その隙間から、太陽の光の筋が幾つもさしこむ。 静かな森の中は、ココの頭を少しは冷やしてくれそうだった。
やがて大木に囲まれて、ひっそりと建っている家が見えてきた。
「ココ様。お一人でいらしたのですか?」 出迎えたリダが驚いていた。 「ええ、そうよ。それよりもう出来上がっているんでしょうね」 ココは、じろりとリダを睨み付ける。
王家の専属の絵師、リダの家にはたくさんの絵が保管されていた。 中に入ると絵の具特有のにおいが、どことなく漂う。
リダは一番奥の部屋に行ったまま、まだ戻ってこない。 ココは案内された部屋で、きょろきょろしながら待っていた。 壁にかけられたもの。描きかけのまま、部屋の隅に立て掛けられているもの。 大きなもの、小さなもの。様々な絵が部屋中にあった。
退屈を持て余しぎみになってきたココは、一枚ずつ順番に絵を見ていた。 その中には見知らぬご先祖様と思しき古い絵も、もちろんあった。 あるいは自分がまだ生まれる前の、両親の肖像画もあった。 「お母さま、きれーい…あら、この人…」
次に目にした絵を見て、ココは息をのんだ。 髪の色は鈴世と同じ明るい金色。 でもその瞳はどこか悲しげな、深い碧。 鈴世が太陽のイメージなら、彼は月。 静かで穏やか。でも陰がみえる。
「すご…く、かっこいい…」 床に座り込んで、その肖像画に見入っていると、いつの間にかリダが戻ってきていた。 「大変お待たせいたしました。こちらでございます」
細かい飾りで縁取られた額におさまっている、ココと鈴世の肖像画。 それは婚約式のときのものだった。 「ありがとう、リダ。素晴しい出来栄だわ」 満足げにココはリダの家をあとにした。
しっかりと胸の所で大事に抱え、来た道を戻る。 その途中にある、湖のほとりでココは腰をおろした。 膝の上にのせて、絵の中の鈴世と向きあう。 さっきまでの笑顔は消え、むくむくと広がる憤りがココを包む。
「結婚式なんて、絶対認めないんだから!やっぱり鈴世を魔界に呼び戻してもらわなくちゃ。そうよ、人間界になんていてはいけないのよ」
「そんな事をしても、何もならないのではないか?」
「誰っ!?」 ココは声のする方を探す。 湖の周りにはいつの間にか霧が立ちこめていて、その姿は見えない。
「無理に連れ戻したとしても、彼の気持ちは変わらないだろう」
急にココの周りだけ、霧が何かに吸い込まれていくように消えていく。 そして声の主が、ココの丁度目の前に姿を現した。
「あなたさっきの…」 それはリダの家で見た、肖像画の男だった。
霧の中から浮かび上がる姿。 スクリーンに投影された映画の登場人物のように、立体感も現実感もない。 それはすでに彼が、この世のものではないことを示していた。
男は自らをダーク=カルロと名乗った。 そして遠い親戚のようなものだとも語った。
その声は、一つ一つココの心に直接共鳴した。 次々に輪を作っては広がる水紋のように。 実際、彼の言葉は耳ではなく、心に届いていた。
伝えようとすることは、言葉より正確に互いの心を行き交う。 これまでのココの経過も、説明を加えるまでもなく、 手にとるように彼は理解しているようだった。
ココはしばし彼の容姿にみとれた。 どこかで会ったことがあるからなのか、誰かに似ているせいなのか。 絵で見た時より、ぐっと心を惹き付けられる。
普段はわがままばかりのお姫さまも、彼に対してはその影を潜め、飼い主の膝の上で眠る子猫のように、全く無防備になっていた。 誰にも見せない弱い自分。不安。 幼くて不器用な感情がありのまま、カルロの中に入っていく。
「結婚なんて、してほしくないの…いつまでもココだけの鈴世でいてほしいの」 絵の中の鈴世をぎゅっと抱きしめる。 そこにはいつもの勝ち気な表情はない。
「結婚式なんて、なくなっちゃえばいいのに」 うつむいたココは消えそうな声で呟く。 今にもその大きな瞳からは涙がこぼれてきそうだ。
何か温かい気配を感じて、ココは涙をためたまま顔を上げた。 そこにはココを包み込むような、カルロの両手があった。 もちろん直接触れることはできないが、その代わり、 ココの心の中に彼の気持ちが流れ込んできた。
彼の過去。叶うことのなかった、せつない彼の愛情。
手に入らないものなど、何もないと信じていた。 財産も権力も、何もかもこの手にできたが、ただ一つだけ、手に入らなかったものがある。
それは初めて心から愛した女性。 彼女の気持ちは最初から、別の人に向けられていた。
「自分の方に向けさせようとしなかったの?」 ココはカルロの心に問いかける。 彼の深い碧の瞳が憂いを帯びて、一層深い色に変わる。
自分の力をもってすれば、二人を無理矢理引き裂き、彼女を傍においておくことは可能だったかもしれない。
だがそんなことをしても、彼女の心を手に入れたことにはならない。
ココの胸にその言葉が鋭く、深く突き刺さった。 鈴世の心。そんなこと、考えてみたこともなかった。 そばにいてくれるだけでいいと、安易に考えていた自分を恥じた。
沈黙の声がココの胸にしみわたっていく。 絵の中の鈴世に、ぽたりぽたりと大粒の雨が降りかかる。 好きだけじゃだめなんだ。 でもどうすれば好きになってもらえるか、わからない。
その様子を黙ってみていたカルロは、優しい空気でココを包み込む。 我慢することを忘れ、ココはその中で思う存分泣いた。
「その人のこと、まだ好きなの?」
少し落ち着いてきたココは、涙を拭いながらたずねてみた。 カルロは何も答えなかった。 暗い闇を照らす月のように、ただ静かに微笑むだけだった。
「わたしは、そろそろ帰らなくてはならない」 「どこへ?」 「帰るべきところへ帰るのだ」
薄れゆくカルロの姿に向かって、ココは泣きながら叫んだ。 「残念ねー、あなたが生きてたら、ココがお嫁さんになってあげたのにぃー」
カルロは穏やかな笑みを残して、ココの前から霧とともに姿を消した。 湖には何事もなかったように、太陽の光がそそがれている。 まるで白昼夢か幻でも見ていたような気持ちにさせる。
だけど夢じゃない。
涙がすっかり乾いてしまうまで、ココは呆然としていたが、ぎゅっと握った手のひらに力を込めると、今まで大事に抱えていた肖像画を宙に浮かせた。 そして両方の手のひらに、それぞれ一つずつ小さな炎を生みだした。
青白い炎は重なりあって一つとなり、瞬く間に肖像画を包み込んで、大きな炎に変わった。 燃えさかる火炎が、無理をして背伸びをしていた、絵の中の自分を消していく。 またいつか別の恋ができるのだろうか、ココは消えていく鈴世を見つめながら思った。
煙りは天へ昇り、燃え尽きた白い灰は風に運ばれていく。 後には何も残らない。
「バイバイ、鈴世」 少し強がって声に出してみる。
「でもおめでとうなんて、絶対言ってあげない!」
かるさんへプレゼント。 もしココがカルロ様に出会ったら?そんな妄想から生まれました。 絶対ココのタイプでしょう?カルロ様って。 でもそうなると卓の立場はないですよね。
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