*このお話はかるさまのイラストをイメージして書かせて頂きました。

 

笑顔の向こうに

 

「江藤さん、そこ片付いたらあがってね」

「はぁい」

ゴミを一つにまとめていた手を止め、蘭世は振り返って答えた。

 

女の子なら一度は憧れた職業「お花屋さん」で蘭世がアルバイトを初めてようやく一週間が過ぎた。

奇麗な花に囲まれて、優雅な仕事と思いきや一日立ち仕事は殊の外ハードであり、

寒さが身にしみるこの季節であっても、花を乾燥から守る為には暖房もない。

その上水を使うので一日を終える頃には、身体の芯から冷えきってしまう。

 

それでも、蘭世は生まれて初めての「アルバイト」が楽しくて仕方がなかった。

プロボクサーとして歩み始めた俊と比べれば、それは仕事ではなくて単なる「バイト」にすぎなかったにせよ、自分も働いているという実感が堪らなく幸せだった。

 

ただし、蘭世が働き始めたことによって、

俊と会う時間はいよいよ僅かなものとなった。

今はこれでいい。が、寂しくないと言ったら嘘になる。

ふいに大声で「真壁くんに会いたい」と叫びたくもなる。

本当は今すぐにでも会いにいきたい。

だけど…黒いビニール袋の口をしばり、ふうと一息蘭世は深い息を吐く。

プロとしてまだ駆け出しの俊がボクシングに集中できる環境を作ること。

それが蘭世にできる唯一のことだった。

今日は先日の試合で西日本の新人王を倒したお祝いらしく、

ジムの会長主催の祝勝会が開かれているらしい。

 

まだ、ちゃんとおめでとうって言えてないや…

 

「お疲れさま。じゃ、いつもの席で待っててね」

「ありがとうございます」

 

仕事を終えると蘭世は併設のカフェへ向かい、いつもの窓際の席につく。

「お疲れさま、蘭世」

カフェの方でバイトしている楓から、

手になじみよいマグカップからゆらゆらと湯気をたてている

ホットココアが運ばれてきた。

「かえでちゃんは、ラストまで?」

「うん。もうひと頑張りしてくる」

笑顔を残し、楓が席を離れていった。

ホイップクリームが白く溶けていく様を見ながら、蘭世はこくりと一口。

喉から胃へ温かさが流れていく。また一口。

頑張った分だけくたびれた身体には程よい甘さが、蘭世を癒す。

 

外はとっくに日が暮れて濃紺の空には星が瞬いている。

吐く息が白さを増す程、星もまた明るく白く輝きを増す。

よく磨かれた窓ガラスは鏡のように、

ちょっとだけ心細気な表情の自分の顔を映していて、

蘭世は慌てて笑顔を作った。

それは困ったような、泣きそうな、無理して作った偽物の笑顔だった。

 

ぶるぶると頭を振り、もう一度チャレンジ。

口角はきゅっと上げて…と蘭世は両方の人差し指で口元の両端を持ち上げた。

それで目元は…と最上級の笑顔を作っている最中、

 

コンコン

 

口角を持ち上げたまま音のする方に目を遣ると、

蘭世はしばしその姿勢のまま固まってしまった。

 

「ま、ま、真壁くん!?」

 

ガラスの向こうで蘭世の百面相を見て遠慮なく笑っているその人は、

まぎれも無く真壁俊その人なのだが。

 

どうして??だって、今頃はまだ…

 

混乱する頭とは逆に手足は感情に正直に動き、蘭世は店を飛び出していた。

外に出た途端、暖まりかけていた蘭世の身体から一吹きの風が熱を奪っていった。

しかし蘭世にはそれすら感じる余裕はなかった。

ただ、白い吐息の向こうにいる俊の姿だけを捉えていた。

 

「真壁くんっ!!」

蘭世は駆け寄る。

「よお」

俊は穏やかに笑って片手を上げた。

そのもう片方の手からはリボンもかけられず包装もされないむき出しのままの20本の深紅の薔薇の花束が、蘭世に差し出された。

 

「おまえのバイト先で買おうと思ってたんだけど、もう閉まる所でさ」

そう言って俊は苦笑いする。

その姿が蘭世の潤んだ瞳の中でだんだんぼやけていく。

 

「会い…たかったよぉ…」

蘭世は花束を受け取るよりも先に、俊にしがみついた。

「ごめんな」

 

蘭世がこれまで堪えてきた感情は涙となって次々に溢れて流れた。

すっかり冷たくなってしまった蘭世の髪を、俊は優しく指で梳くように何度も撫でた。愛おしむように何度も何度も。

 

「もう…待たせない」

「え…?」

 

冬の冷たい風が攫っていった熱を、俊が口移しで蘭世の中に注ぎ込む。

 

 

     

 

 

 

 

 

 

              **********

 

 

「ねえ、やっぱりこの後は『結婚しよう』がいいかしら?」

くるりと椅子を回転させて夢魔が問う。

「それとも『愛している』かしら?」

「どっちでもいいんじゃないの?」

頬杖をついて今にも欠伸をしそうなとろんとした目の死神が答える。

「酷いわ!サリちゃん渾身の大作がもうすぐ完成するっていうのに!!ねえルル?」

羊は空腹のあまり、目を回している。

 

他人のことは言えないが、彼女もまたお人好しのお節介なのだ。

なかなか進展しそうでしない二人の大切な友人の為に、

彼女が人肌脱ぐと宣言してからかれこれ2時間。

こちらも久しぶりに会えたんだけどな…という死神のぼやきにも似た呟きは、

執筆活動に戻ってしまった夢魔には届きそうもなかった。

 


かるさんのイラストにまたしても妄想。お花屋さんとカフェが繋がっているというのは、ドラマ「ひとり暮らし」から。

そしてカフェのイメージはもちろん「Tokimeki Cafe 」さまです!!

という割にはカフェの詳しい描写はあえて避けました。皆様のイメージでお読み頂ければ幸いです。

落ちをつけてしまったのは、マイブームとなった「ジョルジュ」をどうしても登場させたかったのです(笑)

でもごめん、ジョルジュ。次回はもっと(ジョルジュが)幸せなお話で登場してもらいますからね。

 

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