「なんでチョコレートなの?」
それは従妹から聞いた人間界での変わった風習ーーー年に一度女の子が好きな人に告白ができる日ーーーバレンタインデーだった。
「お菓子メーカーの策略だよ。でもあたしたちは、それに乗せられちゃってるわけなんだけどね」 愛良は屈託のない笑顔でソファに深く腰掛けた。ココは頬杖をついて考え込む。 きっと卓は色んな人からチョコレートを貰って帰ってくるのだろう。 卓の気持ちがちゃんと自分に向いているとわかっていても、やはり面白くない。
「チョコレート、ね…」
「ちなみに義理チョコとかもあるからね〜」 ココはかくんと前のめりになった。 「何それ!?義理って何よ、義理って」
ということは、卓はいったいどれ位のチョコレートを持って帰って来るのだろうか。 本命+義理=未知数。 卓が義理チョコを喜んでもらってくるとは思えない。 大前提として頭の中にはちゃんとあるのに、胸の奥で煙がもやもやと立ちのぼって、ココに絡み付く。 考えるのはよそうと思えば思う程、解けなくなって胸が締めつけられる。 この感情は昔から良く知っている。ココは捕われないように頭を振った。
「どうしたの?お姉ちゃん」 愛良が心配そうに覗き込んでいるのに気づき、ココは強引に平静に戻した。
卓は優しい。言葉は相変わらず少なくて、時には足りないこともあるけれど。 卓の気持ちはちゃんと自分にある。確信もあるし、信じてもいる。 だけど些細なことで時に足元が揺れるのは、自分が貪欲すぎるからだ。
いつまでたっても、自分の方が卓のことを好きな気持ちが上回っているように思えて仕方ない。 だから顔も見えない相手からのチョコレートの存在に脅えてしまう。
「チョコレート、ね…」 ココはまた頬杖をついた。
数多の見えない恋敵に負けないような、そんなチョコレートを作ればいい。 初心者向けのレシピをあれこれ探しては、真壁家のキッチンを拝借する日々が続いた。 もちろん卓が学校に行っている時間帯を狙って。
「またですか…姉上。今度は何ですか」 「…ごめん…」
爽やかな笑顔のバランスを崩す弟の冷たい視線に、ココは縮み上がる思いで持参した包みを広げる。
本来であればふんわりと膨らんだケーキが出来上がるはずだった。オーブンに入れるまでは確かにそうだったのだ。 何故か次に開けた時には見るも無惨な状態になっていた。
「あ、味はいいと思うのよ?」 「最初は砂糖と塩を間違えるという、ありそうで無いイージーミスでしたっけ?あれは刺激的な味でしたね」 横目で投げかけられた言葉に、更に肩をすくめて小さくなる。返す言葉なんてあるわけがない。
バレンタインデーには当然手作りチョコレートでしょう! そして当然ながら100%以上の出来映えのものをプレゼントしたいと思うのは、恋する女の子なら当たり前の結論だ。 ただしココの場合は、残念ながら思い描いた完成品にはほど遠いのが現状なのである。
当日までに完璧にする為、何度も挑戦しては今の所撃沈している。 そしてその呷りをくって、レオンが毎回試食する羽目になっている。 ちなみに「刺激的」の次は「独創的」だった。まだまだ卓にプレゼントできる代物ではない。
「ぼく、太りそう…」 フォークを握ったまま、レオンは何かに縋る思いで天を仰いでいた。
そんな弟に対して申し訳ないと思いつつ、今回の完成品を皿に取り分けた。 観念したレオンがフォークを突き刺し、まるで苦い薬でも飲むようにぎゅっと目を閉じて口へ押し込む。
「…どう?」 祈るように両手を組み、ココはレオンが咀嚼して嚥下するまで瞬きすらしないで見つめた。
「…斬新な食感です」
ココはがっくりと肩を落とした。簡単なメニューなら最近では、一人で作れるようになった。 卓はあんまり言葉に出して「美味しい」とは言ってくれないけれど、黙って綺麗に平らげられたお皿を突き出して、 おかわりを要求するようになったあたりに、そこそこ腕があがったのだと自分では思っている。 けれどお菓子作りはまた別の話だ。
卓が忙しいのをいいことに、かなりの頻度で魔界へ来ている。 自分の生まれて育った家なのだから当たり前なのだが、人間界での暮らしにすっかり慣れた今となっては、ちょっとした里帰りの気分になる。 その一方でレオンに試食という名の毒味をさせるだけではなく、ココにはもう一つの目的があった。
「ココ、編み目を一つ飛ばしていますわ」 傍らで刺繍をしている母は縫い目に視線を下ろしたままだというのに、何故か的確な指摘をしていた。 随分編めたと思っても後から間違いに気づき、その度にほどいてはちまちまと編み棒をぎこちなく動かすのだが、 またしてもほどく羽目に陥るので一向に完成する気配がない。編み物初心者はまずマフラーから。 本当はセーターを、と考えていたココだったがその考えがチョコレートケーキよりも甘いことを思い知らされた。
ーーー間に合う…かな?
ほんの少しだけ先行き不安なココだった。
もともと卓ココを書こうとしていたはずが、とっかかりが深町マネージャーだったものですから、いきなり遠回り。 そこから愛良も登場し、これは初めての新愛もいけるか、いけるのか!?となり、結局一番最後になってしまいました。 大変でしたがとても楽しかったです。 ちゃんとプロットたてずに行き当たりばったりだったので、出来上がったものの隙間を見つけては次に繋ぐ …という自転車操業っぷりを発揮していたのであります。つまり大変だったのは自業自得なのです。 今回の「チョコレート戦争」というタイトルは遙か昔に読んだ「フルーツ果汁100%」という漫画から。 コミックスは手放してしまいましたが、岡野史佳さんの作品は大好きでした。
| ||
![]() | ![]() | ![]() |