ベン=ロウはボスに現在の状況を余す事無く伝えた。

取引の為に用立てていた現金はなくなったが、手配は可能であり、それと同時進行で犯人を捜す手筈も整っている。

 

「犯人を捜す必要は無い」

ボスは胸ポケットから取り出した葉巻に火を灯すと、ゆったりと煙を燻らせた。

「…ダーク様、それでは」

 

「犯人はわかっている」

特有の甘い香りが立ちこめ始めた。

犯人がわかっているなら何故すぐに動かないのか、何故その指示を下さいないのか。

ベン=ロウにはまだボスの真意が測りかねた。

 

「行くぞ。客人がお待ちかねだ」

一瞬だけ、どこか遠くを見た後ボスは微かに笑い、灰皿に吸いかけの葉巻を押し付けた。

その冷ややかな笑みは白く揺れる空気に混ざって漂い、蜃気楼のようだった。

 

 

 

何事もなかったかのように、商談はまとまり取引は無事に成立した。

客人が引き上げた後、ボスはベン=ロウにだけ届く声で語りかけた。

 

『車を一台手配してくれ』

 

かしこまりましたと言う代わりに、ベン=ロウは目顔で答えた。

特殊な能力を持つ家系に生まれたベン=ロウであるが、ボス程の能力はない。

こうやって心に直接語りかけてくるボスの声を聞き取るぐらいだ。

 

部下には知らせない方がいいと判断したベン=ロウは、自ら車のハンドルを握り屋敷の裏口へ静かに車をつけた。

程なくしてボスが現れる。

 

「ランカスターホテルへ」

 

 

 

彼がドアを開けると、そこには「ナディア」ではなく別の女がいた。

見知らぬ女ではない。

女も予期していなかったらしく、ひどく驚いている。

 

「あ、あなたはカジノの…」

「わたしはナディアにここに来るように言われて来たんです。あなたは?」

「ええわたしもナディアに…」

女の言葉は内線電話によって遮られた。ベッドサイドにいた女が受話器を上げた。

 

「はい、わたしです。あぁナディア、これはどういう…ええわかったわ」

女は通話口を手で塞ぎながら、受話器を彼に渡す。

「ナディアがあなたに話があるそうよ」

 

『もしもし、ごめんなさいね。驚いたでしょう?』

「これは一体どういうことなんです!?」

『例のカジノの件が彼女のダンナ様にとうとうバレてしまって、今大変なの。だからわたしの宿泊先に来てもらったって訳。

わたしももうすぐそちらへ着くから、暫く彼女を慰めてあげてほしいの。本当にごめんなさいね』

 

電話は躁状態なほど明るい声の彼女が喋るだけ喋って、一方的に切られた形となった。

通話音だけが虚しく耳に繰り返しこだまして、ようやく彼は受話器を置いた。

 

「もうしばらくしたら、彼女も来るそうです」

「そう…」

女はベッドに腰掛けると両手で顔を覆った。

慰めろと言われても何といって声をかけていいのか、躊躇われた。

カジノの客だから顔は知っているけれど、話した事もないのだから。

 

重たく沈む空気に困り果てた彼が、意味もなく窓の向こうの遠くの景色を見ていると、やがてドアをノックする音がした。

「わたしよ、ナディアよ」

安堵した彼は待ちかねたようにドアを開けた。

ナディアの笑顔が沈鬱な空気を一掃し、新しい空気を運んで来た。

それと同時に二人の男の足音も。

 

怪訝に思う暇などなかった。

彼が最後に見たものは、拳銃を持った金髪の男だった。

どことなく彼女に似ている、と彼は思った。

 

そして銃声が響いた。

 

 

ボスはさながら赤い花びらを散らして倒れていく男の亡がらを越え、震えて悲鳴すらあげられずにいるマダムの前に立つ。

拳銃を持った手は下がることなく、銃口は未だ標的の姿を捉えたままだ。

 

「ご…めんなさ…い。どうしてもお金が必要だったの」

子供のように何度も泣きながら謝るマダムの姿を、ボスは冷淡に見下ろす。

それは妻からの謝罪の言葉を聞く夫の姿とはかけ離れていた。

「いけないことだとはわかっていたの、でも…でも…」

 

「裏切った者を許す程、この世界は甘いものではない」

 

針がとんだレコードのように同じような言葉を何度も繰り返すマダムの言葉は、冷たい銃口によって永遠に塞がれた。

辺りは焦げた臭いと血の臭いでむせ返っていて、初めてではないにせよまだ慣れない独特の臭気に、

ベン=ロウは眉をしかめて口元を覆った。

 

「行くぞ」

人を二人も殺めてすぐとは思えないほど、ーーそのうちの一人は自分の妻であるにもかかわらずーー

ボスは平然と銃を胸ポケットにしまうと、ベン=ロウに声をかけた。

そしてもう一人…。

 

ドアが開きナディアが二人を出迎えた。

「急ぎましょう。人が来るわ」

辺りを見回しながらも、気になるのかナディアがちらりと中を覗いた。

「見ない方がいい」

ベン=ロウが制すが、ナディアは凄惨な現場を見るとうっすらと笑った。

 

 

「この世にナディア=カルロは一人で充分よ」

 

 


「Blue Rose」を書いている途中から朧げに浮かんだイメージを文章にしていくと、

こんな感じになりました。

直接的には関係ないのですが藤原伊織氏「ひまわりの祝祭」からも多大なる影響を受けました。

「Blue Rose」の直訳はもちろん「青い薔薇」。でも「憂鬱な薔薇」とも訳せるんですよね。

とか、カジノが出てくるあたりとか(笑)

ナディアってこんな人だっけ〜(怒)や話の展開に無理があるなどなど…ツッコミどころは

満載なのですが、これにて完結でございます。

 

NOVEL