明け方近くに見る夢は

 

 

 

 

曜子は優しい腕の中にいた。

懐かしいほど心地よく。

でもこの人は誰だろう?

 

―――ちょ、ちょっと、力!?

 

しかし驚きはやがて消えて、曜子は彼の背中に静かに両手をまわす。

 

―――…戻ってきてくれたのね。嬉しい…

 

ずっとこの時を待っていた。長い間ずっと。

だからこそ、胸にこみ上げてくるものは瞳から流れる涙へと変わる。

彼は何も言わず、ただ曜子を抱きしめる。

その力の強さが全てを物語っているように思えた。

また頬を涙が伝ってこぼれ落ちる。

こんなふうに抱きしめられるなんて、もう二度とないと思っていた。

ずっと、こうして欲しかった。

曜子は目を閉じる。

 

―――夢みたい…

 

 

 

夢だった。

 

目を開けると、いつもの見慣れたはずの天井をそれと認識するまである程度の時間を要した。

ここは自分の部屋の中。

潤んだ瞳では歪んで見えた。

ゆっくり瞬きをすると、両方の目から涙がまた零れた。

夢の余韻をも洗い流すかのように。

 

夢、だったんだ。

 

そう。現実の世界ではいつもの朝が訪れている。

あんな夢を見てしまったことも、

それを見て不覚にも涙を流してしまったことも、

清々しい朝とは裏腹に、曜子を自己嫌悪の渦に巻き込むには充分すぎるほどだった。

そんなの、自分らしくない。

 

曜子は16歳の時に風間力と結婚した。

しかし短すぎる結婚生活は突然終わりを告げた。

その時気持ちをスッパリと切り替えたつもりでいたのに。

 

『愛してるんだ』

金網越しの力の声を背中で聞いた。

どきんと心臓が大きく弾ける。

その言葉が嬉しくないわけはなかった。

ただ、それをすんなりと受け入れようとする自分に過去の記憶がブレーキをかける。

 

『おまえじゃなきゃだめなんだ』

力の言葉の一つ一つが胸にしみ入る。

けれどまた同じ事の繰り返しになるような気がして、正面から向き合う事を無意識のうちに避けてきた。

あれから力とは連絡をとっていない。

こちらから電話をすることは絶対にない。

それがせめてもの女の意地だった。

 

「曜子やー、朝ですよー」

ドアの向こうから明るく玉三郎の声がする。

慌てて両手で頬をパチンと一喝いれると、

「パパ、すぐ行くわ」

ドアを開けるといつもの神谷曜子に戻っている。

「おはよう!パパ」

その笑顔には先ほどの涙の跡など微塵もない。

 

今日は生徒たちがやって来る。

自分の分身でもあるヨーコは彼女よりも先に母になった。

生まれた兄弟達のなかの一匹は、なるみの元へと里子に出ることになっており、数人の生徒たちが連れ立って曜子の家へ訪れた。

 

「やーん、かあいーい」

ころんと丸みを帯びた子犬達を取り囲み、早速賑やかな声がおこる。

元飼い主、なるみと再会したルンもはしゃいでしっぽを左右に大きく揺らしている。

一方、輪の中心のヨーコは母の貫禄を早くもみせている。

曜子は少しだけ彼女を羨ましく思う自分に気付くと、こっそり苦笑した。

(犬を羨ましがってどーすんだ、わたし)

 

その時だった。

自分の名前を呼んで突進して来る一人の男。

「りっ、力!?」

 

「もう一度、おれと結婚してくれーっ!」

 

気付いた時には彼は曜子のすぐ目の前にいて、何しに来たの、と曜子が悪態をつこうとした唇は彼の唇で封じられた。

 

しっかりと掴まれた手首は、もう抵抗する事を許さない。

曜子の頭の中が真っ白になった。

生徒たちのどよめきはすでに耳に届かない。

足がかくかくと震え出す。

 

唇にひんやりとした風を感じて、曜子は改めて力と真正面から向いあう。

顔が、体全体が熱い。

それは決して羞恥心からくるものではない。

触れていた唇の感触が消えずに残っている。

それを自覚するとまた体の中心の熱はさらに温度を上げ、曜子を支配していた芯を溶かしていく。

とうとう立っている事ができず、曜子はその場にぺたりと腰をおろした。

 

「犬はっ、まだ正直いって苦手だ。でももう待てねえ!」

力の瞳。

力のまなざし。

それは曜子の心を揺さぶり続ける。

 

「ぼやぼやしていたら、他の男におまえを取られちまう!」

力の声。

力の言葉。

それは何度も曜子の中でこだまする。

 

「…取りに来る男なんていないわよ」

思えば真直ぐに気持ちをぶつけてくれたのは唯一人、力だけだった。

いつだって突然で、強引で。

振り回されてばかりいた。

だけどこの人しかいない。

その気持ちは16歳の時から変わっていない。

曜子はやっとそれに気付いた。

いや、それを認めた。

 

「だって、待ってたのはわたしも同じだもの」

力の姿が霞んでよく見えない。

言いたくて言えなかった言葉が今、ようやく声に出して言えた。

曜子の涙は堪える事を知らないかのように流れ出す。

 

曜子は優しい腕の中にいた。

懐かしいほど心地よく。

でもこれは夢じゃない。

 


 

かるさんへプレゼント。

初めて書いた力×曜子です。

原作での復縁のシーンの前にはこんなエピソードがあったりして?

 

NOVEL