原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成+マンドロンチェロ、ベース
解説 メニケッティは1894年12月26日コルシカ島のヴィアレッジョ(Viareggio)に生まれ、1969年8月27日に逝去したフランスの作曲家、指揮者。フランソワ・デトーガ(François
Detoga)のペンネームも用いた。アコーディオンを製造、修理する父親から音楽の手ほどきを受け、独学で音楽を勉強、より高度な音楽教育を望んだが、コルシカ島では彼の夢はかなえられなかった。海軍に入り音楽の勉強をしたいと、フランス南部地中海に面した軍港の町トゥーロン(Toulon)に渡り、海軍で働きながら、トゥーロン音楽学校のボノ(Bonnand)教授の弟子となり入隊試験に合格、一等水兵として軍艦に乗艦、「波の歌」、「古いトロール船」等を作曲、乗組員の士気を鼓舞した。そして、提督の勧めで小さなオーケストラを組織し艦上で演奏するようになった。
1914年から1918年の第一次世界大戦後、軍楽隊副司令の試験に合格、赴任した各地の連隊で軍楽隊のために、それぞれの土地の楽器を用いてエキゾチックな多くの作品を発表・録音している。第二次世界大戦中、ドイツ国境に近い要衝メス(Metz)の第80連隊所属のとき捕虜となるが、収容中でも彼の創作は続けられたという。
戦後除隊、民間人の生活に戻って、長年の友人だったマリオ・マチョッキの事業を継続するために、彼は積極的にプレクトラム音楽に関わるようになり、1948年7月マンドリンオーケストラのためのLe Mediator(ル・メディアトール)誌を創刊。フランス、オランダ、ドイツ、イギリスでのマンドリンの大会の審査員としてマンドリン音楽の普及に献身した。
彼が心を注いだ「ル・メディアトール」誌により、自らの作品始め多くの親しまれる作品を出版し、1969年の第30号まで出版されたが、76歳の彼の死後継続発行されることはなかった。「ハンガリーの旅」スコアは1965年のル・メディアトール誌第24号によった。
|