オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
131.「ローマの思い出」 F.フランチア作曲 
原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成+マンドロンチェロ+ベース
解説 作者F. Franciaはイタリアのピエモンテ州オメーニャに生まれ、1904年6月13日にジェノヴァで逝去した。ヨーロッパで著名なマンドリン・ギター奏者で作曲者。3巻からなるマンドリン教則本、マンドラ教則本、ギター教則本を著し、マンドリン、ギター、ピアノ、マンドリン合奏のための小品を作曲。それらの多くは、ミラノのリコルディ、フィレンツェのマウリ社から出版された。
 ヨーロッパ各地で活躍したマンドリンソリストで作曲家のレオポルド・フランチアは彼の息子。

 「ローマの思い出」はトリーノのマンドリン誌イル・マンドリーノで出版された。同誌の第6回作曲コンクールに銀賞を得た。

 我が国でも種々のマンドリン曲集に掲載され、よく演奏されているが、多くは原曲を見ることなく出版されているようである。

132. 「道化師」行進曲 H.ラヴィトラーノ作曲 

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜
 原編成+マンドロンチェロ+ベース
解説 19
世紀後期ナポリ湾頭のイスキア島に生まれ、永年アルジェリァのボーン市に住み、19381216日彼地で逝去したフランス国籍の作曲家。彼ははじめ、或るフランス人から音楽の手ほどきを受け、ナポリにおいてPaolettiから和声と作曲法を学び、同地の音楽学校教授Fotucciのクラスにも通った。その後彼は、管弦楽や吹奏楽の指導をしていたが、音楽の他にイタリア語、フランス語、スペイン語等数ヶ国語に堪能で、これらの教授もしていた。彼の作品の中には彼の郷土とも云うべきアルジェリアの熱く明るく輝く異国情緒豊かな息吹きが感じられる。

  マンドリン合奏曲としての作品は「ローラ序曲」「レナータ(小序曲)」「雪(ロマンツァとボレロ)が作者の三大傑作としてよく知られているが、その他に「道化師(マーチ)」、「ナポリ(行進曲)」、「パリのナポリ人(セレナータ)」、「全ては去りぬ(挽歌)」、「輜重兵(軍隊行進曲)」、「愛の太陽」、「晩年に(交響的間奏曲)」がある。マンドリン・ギター二重奏曲では「アラビァ風刺曲」「失われし幻影」、「貧しき農夫」。ギター独奏曲に「花」及び「桂樹とキリスト教徒」等がある。これらはいずれもイル・マンドリーノ誌、イル・プレットロ誌、レステューディアンティナ誌、オルケストラ・ア・プレクトル誌によって発表された。

133.「古風なガボット」間奏曲 G.ファルソーラ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドロンチェロ、マンドローネ
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 作者の詳細はわからない。De Angelisの"L'ITALIA MUSICALE D'OGGI DIZIONARIO DEI MUSICISTI"(『現代イタリ音楽家辞典』、1922年刊)には、G. Farsoraとして「ピアノのためのピースの作者、歌とピアノのためのロマンス、そしてトリノのジョヴァンニ・ドロベッティ(Giovanni Drovetti[1879-1958])が作詞した二幕の歌劇『Magda』の作曲者」とのみ記されている。Giulio Farsoraを指していると断定できないが、同時代の人であることから、紹介しておく。

この曲は1941年イタリア・シエナでおこなわれたマンドリン作曲コンクールで佳作となった作品。1939年ドイツのポーランド侵攻から始まったヨーロッパの戦禍のなかにあって、1940年、1941年に2回のマンドリン作曲コンクールがおこなわれた。岡村光玉さんがイタリア留学中、懇意にしていたシエナのマンドリン指導者アルベルト・ボッチ氏の譜庫から、この2回のコンクール入賞曲の楽譜群を見い出し、ボッチ氏に懇願して楽譜を複写、1975年、日本の斯界にもたらした。

「古風なガボット」スコアは、1941年のコンクール応募に提出された作者自筆譜 


134.「ハンガリーの旅」幻想曲 F.メニケッティ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成+マンドロンチェロ、ベース 
解説 メニケッティは1894年12月26日コルシカ島のヴィアレッジョ(Viareggio)に生まれ、1969年8月27日に逝去したフランスの作曲家、指揮者。フランソワ・デトーガ(François Detoga)のペンネームも用いた。アコーディオンを製造、修理する父親から音楽の手ほどきを受け、独学で音楽を勉強、より高度な音楽教育を望んだが、コルシカ島では彼の夢はかなえられなかった。海軍に入り音楽の勉強をしたいと、フランス南部地中海に面した軍港の町トゥーロン(Toulon)に渡り、海軍で働きながら、トゥーロン音楽学校のボノ(Bonnand)教授の弟子となり入隊試験に合格、一等水兵として軍艦に乗艦、「波の歌」、「古いトロール船」等を作曲、乗組員の士気を鼓舞した。そして、提督の勧めで小さなオーケストラを組織し艦上で演奏するようになった。

 1914年から1918年の第一次世界大戦後、軍楽隊副司令の試験に合格、赴任した各地の連隊で軍楽隊のために、それぞれの土地の楽器を用いてエキゾチックな多くの作品を発表・録音している。第二次世界大戦中、ドイツ国境に近い要衝メス(Metz)の第80連隊所属のとき捕虜となるが、収容中でも彼の創作は続けられたという。

 戦後除隊、民間人の生活に戻って、長年の友人だったマリオ・マチョッキの事業を継続するために、彼は積極的にプレクトラム音楽に関わるようになり、1948年7月マンドリンオーケストラのためのLe Mediator(ル・メディアトール)誌を創刊。フランス、オランダ、ドイツ、イギリスでのマンドリンの大会の審査員としてマンドリン音楽の普及に献身した。

 彼が心を注いだ「ル・メディアトール」誌により、自らの作品始め多くの親しまれる作品を出版し、1969年の第30号まで出版されたが、76歳の彼の死後継続発行されることはなかった。「ハンガリーの旅」スコアは1965年のル・メディアトール誌第24号によった。 

135.「優美なリュート」詩的想像 R.ガルガノ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 作者はスイス南部イタリア語圏のティチーノ州ベッリンツォーナ(Bellinzona)のマンドリン合奏団の指揮者で、マンドリン作曲、演奏コンクールの審査員をつとめていたが、経歴の詳細は不明である。『Dizionario dei chitarristi e liutai itliana』(Bologna-La Chitarra社1922刊)には、「マンドリン・ギター演奏家、作曲家。ギターの分野では、献身的に優秀な学生を教え、創造することに専念している。」とのみ記されている。また、中野二郎氏の目録には1879年1月生まれと記されている。判明する作品は約40曲あり、多くは小品の重奏で戦後のマンドリン界で演奏されることは少ないが、"Liuto Gentile"は、Garganoの作品のなかで唯一マンドロンチェロ、ベース(マンドローネ)まで編成に入っている作品である。

"Liuto Gentile"出版スコアの左上部にMario Foresiの詩の一節「喜びや悲しみを奏でる私のマンドリン、愛を奏であなたにキスをおくる・・・」と記されている。

スコアおよびパート譜はイル・プレットロ誌1925年版を用いた。