オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
116.マンドリン讃歌「フローラ」  A.カッペルレッティ作曲
原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成+マンドロンチェロ+ベース
解説 作者は1877年1月6日、イタリアのコモに生まれ、1946年10月16日、同地で没した作曲家、指揮者、オルガニスト。作品には、ミサ曲をはじめとする宗教音楽、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ、オルガンのためのソナタ、管弦楽曲、声楽曲などがある。1911年パリで彼のオルガン曲が入賞するなど、各地の作曲コンクールに度々入賞した。
マンドリン関係では、イル・プレットロ誌1906年7月に「恋人たちの踊り」、1907年11月には「マンドリン讃歌フローラ」、1909年には「悲歌」など6曲を発表している。1913年のイル・プレットロ誌第4回作曲コンクールに「劇的序曲」がファルボの「ニ短調序曲」、ラウダスの「ギリシャ狂詩曲」とともに第一位入賞した。
 「マンドリン讃歌フローラ」はコモ市のマンドリン合奏団フローラの指揮者であった作者が自らの合奏団のために作曲したものと考えられる。岡村光玉氏はイタリア留学中に作者の遺族を訪ね、彼のピアノやオルガンのための作品自筆譜(複写)を贈られたが、その中に、作品番号107“Inno-Marcia”(ピアノ曲)がある。本曲と同じ作品で、楽譜の末尾に「1906年3月9日」とあり、ピアノで作曲しマンドリン合奏曲に移したものと考えられる。なお、ボッタッキアリが作者の後任としてマンドリン合奏団フローラの指揮者となっている。 スコアはマンドリン誌「イル・プレットロ」1907年11月号印刷原譜、パート譜は同誌1927年5月号によった。右に掲載の楽譜は、マンドリン讃歌「フローラ」の原曲ピアノ曲、「行進曲讃歌(Inno Marcia)」
117.「トナーレ山の夏の夕暮れ」 S.サルヴェッティ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成+マンドロンチェロ+ベース
解説 
サルヴェッティは、1870年1月30日にアルプスの麓、ブレノ(Breno、ブレッシアの北60㎞にある山岳地の町)に生まれ、1932年12月10日、ダルフォ(Darfo、トレントの南東20㎞)に逝去した。パルマ音楽院でピアノ、オルガンと作曲を学び、ピアノのディプロマを得た。芸術的センスと、優れたオルガン奏者として地元の数団体の合奏団を指導・指揮する収入だけで、伝統や習慣にこだわらない自由な彼自身の生き方を満たすことができた。彼の生き方はValle Camonica(ヴァッレ・カモニカ)地方では有名で尊敬されていたという。1904年、サン・マリノ近くのマルシア·ディ·ロマーニャ(Marciano di Romagna)でおこなわれたマンドリン作曲コンクールのマンドリンオーケストラ・宗教曲部門で名誉金賞を得、さらに次の年トリーノのイル・マンドリーノ誌主催の作曲コンクールに マンドリン合奏のために書いた間奏曲『海の囁き』が第一位で入賞し、マンドリン界で知られるようになった。1905年、カポ・ディ・ポンテ(Capo di Ponte)地域の音楽連盟が設立され、 ブレノ、エージネ、ダルフォの合奏団を指導した。20世紀の初めにはブレノ・マンドリン合奏団(Mandolinistico Breno)を創設した。スイスのベルンにも彼の名を冠したマンドリン合奏団があり、何らかの関係があったと想像される。1922年、トナーレへの讃歌『トナーレ山の夏の夕暮れ』を作曲し、ボローニアのイル・コンチェルト誌に発表。1930年代になると、彼の作品はイタリアでラジオ放送されるようにもなった。彼の作品はいずれも抒情的な色彩と火のような情熱と気品に定評があり、我が国の斯界でも親しまれている作品が多い。作品はミラノのイル・プレットロ誌、ボローニアのイル・コンチェルト誌、トリノのイル・マンドリーノ誌、スイスのマンドリニズモ誌などから、判明しているだけでも、60曲余の作品が出版されている。「トナーレ山の夏の夕暮れ」は、眺望、歌、祈りの三章からなり、続けて演奏される。イル・コンチェルト誌スコアにはAntonio Archetti の詩「陽は西に傾き、夜の帷(とばり)はまさに下りようとしている。遥かに鐘の音が聞えてくる。村娘と若者たちは歌を歌いつつ、夫々の家路につく。やがて夜の祈りが始められる。崇高神秘な限りなき眺め」(中野二郎訳)が記されている。トナーレ山はイタリア北部ブレッシア県カモニカ高原にある標高2694メートルの山。

118.「ローラ序曲」  H.ラヴィトラーノ作曲 

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、リュート、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜第一・第二マンドリン、マンドラ、リュート(マンドロンチェロ)、ギター、ベース 
解説 19世紀後期ナポリ湾頭のイスキア島に生まれ、永年アルジェリァのボーン市に住み、19341216日同地で逝去したフランス国籍の作曲家。彼の作品の中には彼の郷土とも云うべきアルジェリアの熱く明るく輝く異国情緒豊かな息吹きが感じられる。

  マンドリン音楽では、1902年トリノのマンドリン誌イル・マンドリーノ主催の作曲コンクールで「ローラ序曲」が二等受賞した(このときの一等はブラッコの名作「マンドリンの群」であった)。また、パリのレステューディアンティナ誌主催作曲コンクール(1909)に「レナータ(序曲)」が二等受賞、1908年ミラノのイル・プレットロ誌主催の第二回作曲コンクールには「雪(ロマンツァとボレロ)」が第二部門で上位入賞した。「ローラ序曲」は19世紀、『スペインの踊り子、ローラ・モンテス』と銘打ってロンドンでデビューし、『タランテュラ・ダンス』というセクシーな踊りでヨーロッパ各地で艶名をうたわれたローラ・モンテス(1821-1861)に因んで作られたといわれている。ローラは、富裕な資産家男性たちの愛人となり、その中にはフランツ・リストもいたという。1846年、ローラはドイツ、バイエルン王国のミュンヘンへ旅行し、ただちに国王ルートヴィヒ1世に見いだされ愛人となったが、国政に関与し国民から憎まれ、彼女は追放され、ルートヴィヒ1世も退位せざるを得なかった。その後もヨーロッパ各地で浮名を流し、アメリカからゴールドラッシュに沸くオーストラリアに渡り踊り子として舞台に立つが次第に落ちぶれ、アメリカのニューヨークに定住、病を得て左半身麻痺状態となり、39歳で寂しく世を去った。


119.「詩的間奏曲」 A.カッペルレッティ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成+マンドロンチェロ、ベース 
解説 作者は1877年1月6日、イタリアのコモに生まれ、1946年10月16日、同地で没した作曲家、指揮者、オルガニスト。コモにおいてEttoro Pozzoloからピアノ・オルガン・和声学・対位法を、ボローニァではCesare dall’Olioに作曲法、指揮法を学んだ。その後、ボローニァのアカデミア・フィラルモニカ、ミラノのコンセルヴァトリオを卒業。その間、種々の作曲コンクールに入選。コンサートの指揮や、オペラシーズンにはオペラの指揮もしていたが、コモの町と自然、そして自由を愛する故に、故郷コモに帰った。コモでは合唱隊の指揮者、聖フェデーレ教会のオルガン奏者をつとめた。作品には、ミサ曲をはじめとする宗教音楽、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ、オルガンのためのソナタ、管弦楽曲、声楽曲などがある。1911年パリで彼のオルガン曲が入賞するなど、各地の作曲コンクールに度々入賞した。なお、ジャズピアニストとして活躍しているArrigo Cappellettiは彼の孫である。 マンドリン関係では、イル・プレットロ誌1906年7月に「恋人たちの踊り」、1907年11月には「マンドリン讃歌フローラ」、1909年には「悲歌」など6曲を発表している。1913年のイル・プレットロ誌第4回作曲コンクールに「劇的序曲」がファルボの「ニ短調序曲」、ラウダスの「ギリシャ狂詩曲」とともに第一位入賞した。「詩的間奏曲」は1927年にコモ市で開催されたマンドリン合奏コンクールにおいて、上級部門の課題曲となった曲。同じ年にイル・プレットロ誌から出版されている。

120.幻想曲「秋の夕暮れ」 G.マネンテ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター、打楽器
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター,マンドロンチェロ、マンドローネ、打楽器
解説 1906年の「イル・ブレットロ」誌主催の第一回作曲コンクーに入賞したもので、1908年4月同誌より出版された。「夕暮れ」「アヴェ・マリア」「打穀台上の踊り」の三つの楽章よりなる幻想曲である。以下、中野二郎氏が『イタリアマンドリン百曲選』第7集の解説『いるぷれっとろ-7』に掲載された解説をほぼそのまま引用する。

 第一楽章黄昏とアヴェマリァは続けて演奏されるが冒頭と終りの第ニマンドリンとマンドラとは四分音符の単一な打法だけで夕暮に村に帰る(首に鈴をつけた)牧羊を表現させている。その上作者はこの通りカムパネラを加えることを望んでいる。それが果して一層の効果を挙げ得るかどうかは解らないが、この単一な手法が静寂な而も広漠たる田園情緒をかもし出すことは驚くべきものがある。ギターによる和音は特に楽譜通りに消音されない方がよい。Tuttiの部分は野良から帰る農夫の歌声。

 アヴェ・マリアに入り教会堂の鐘が鳴る。続いてオルガンの響き、この部分のギターのトレモロは又特別の効果がある。やがてギターの伴奏によるユニゾンの祈りが続くが斉奏の効果を之ほどに挙げるものを知らない。静かに敬虔にオルガンの響きが残って終る。

 第三楽章はタランテルラであるが、この部分にカスタネソト、タムボリン、トライアングルが入る。之は原スコアに示されていないが発表当時パート譜として特別に手書き譜(マヌスクリプト)で頒布されたもので他の人によってあとから書き加えられたものではない。

 尚第三楽章は打穀台上の踊りとなっているが、特別の台があるわけでなく、石灰、赤土などににがりを混ぜ水を加えて練り上げて叩き固めた場所を指す。このタランテルラは技術的に見てへたな独奏曲よりずっと難しい。