オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
111.「マンドリン・ギター二重奏曲集」  A.アマデイ作曲
原編成 マンドリン、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 アマデイは洒落た小品ピアノ曲を多く書いたが、マンドリン小合奏にも愛すべき小品を多く残している。とくにマンドリンとギター、二つマンドリンとギター、二つマンドリンとマンドラとギター、二つマンドリンによる作品を多く書いている。これらの作品から、マンドリン曲を作曲する際のスケッチや、マンドリンでの独創的表現のための試みを見い出すことができる。収録曲は次の七曲。

1.小組曲「降誕祭の印象」 op.392

第一楽章.鐘と笛
第二楽章.贈り物のまわり
第三楽章.雪の融けるまで

2.降誕祭の小夜曲「ベツレヘム」

3.ガヴォット間奏曲 op.247

4.スコットランドとスペイン風「コンチータ」
5.ワンステップ「キュウピッド」

6.ワルツ間奏曲  op.251

7.ワルツ「遥かな思い出」

8.舞曲「すてきなシルエット」op.207

112.ロマンツァとボレロ「雪」 H.ラヴィトラーノ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成+マンドロンチェロ+ベース
解説 19世紀後期ナポリ湾頭のイスキア島に生まれ、永年アルジェリァのボーン市に住み、19341216日同地で逝去したフランス国籍の作曲家。彼ははじめ、或るフランス人から音楽の手ほどきを受け、ナポリにおいてPaolettiから和声と作曲法を学び、同地の音楽学校教授Fotucciのクラスにも通った。その後彼は、管弦楽や吹奏楽の指導をしていたが、音楽の他にイタリア語、フランス語、スペイン語等数ヶ国語に堪能で、これらの教授もしていた。彼の作品の中には彼の郷土とも云うべきアルジェリアの熱く明るく輝く異国情緒豊かな息吹きが感じられる。「雪(ロマンツァとボレロ)」は、イル・プレットロ誌1908年コンクールの「幻想曲、前奏曲、間奏曲、セレナータ等」部門で上位入賞した作品。イル・プレットロ誌主幹アレッサンドロ・ヴィッツァリは、19101月、「雪(ロマンツァとボレロ)」の出版にあたり、ラヴィトラーノの写真と上述の経歴を掲げ「非凡な音楽家ラヴイトラーノ教授は、また数ヶ国語に通じる博識家で我々の喜びと心からの尊敬をおくる」と述べている。なお、1908年イル・プレットロ誌主催の第二回作曲コンクールの「序曲または組曲」部門には、アマデイの「海の組曲」が第一位、マネンテの「メリアの平原にて」が第三位、クワラントットの序曲「夢」が次点入賞している。

113.序曲「欺かれた陰謀」  D.チマローザ作曲(B.マステッリ編曲) 

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドローネ(マンドロンチェロ)、ティンパニー
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 タリアの作曲家ドメニコ・チマローザ(1749-1801)は貧しい家庭に生まれ、幼い頃に父親を事故で亡くしたが、持ち前の音楽的才能を生かしてオペラ作曲家として大成。65作以上のオペラを作曲したが、秘密の結婚女の手管以外は、現在ほとんど忘れ去られている。『欺かれた陰謀』は1786年に初演された二幕物の喜歌劇。

編曲者マステッリは、1878年10月13日イタリア北東部のヴェネト州フィカローロに生まれた。家族で合奏を楽しむことから音楽の道に入り、1910年にボローニャ王立音楽アカデミーのクラリネット科を卒業、1912年には管楽器の教師に任命され、ピエモンテ州のサルッツォに移った。1914年、ルガーノで行われた市民オーケストラの副指揮者のオーディションに合格し、同地に赴いた。同時にスイスのルガーノ地区カノッビオの吹奏楽団の指揮者となり、さらに同地のマンドリン合奏団も指導した。1920代には、レオポルド・カセラの下で、ルガーノ・カーサルのオーケストラでクラリネット奏者として活躍、サンモリッツの冬の季節には、移動オーケストラで演奏した。1930年代には、オトマール・ヌシオ指揮のモンテセネリ放送管弦楽団の一員となり、クラリネットの活動を行っている。1927年のルガーノ・フットボールクラブの公式応援歌や、イタリアがドイツと同盟し、危機にあったスイスを武装中立路線で守りぬいた外務大臣ジュゼッペ・モッタに捧げたレクイエムミサが「聖母への祈り」として法王から認められるなど、彼は様々な音楽ジャンルで作曲活動をおこなった。1962年10月9日ルガーノで死亡し、故郷フィカローロのロヴィーゴに葬られた。


114.序曲「魅惑島」  J.B.コック作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ 
解説 ヨハン·B.コックは1889年に生まれ、1954年に没したオランダの演奏家であり作曲家。もともとプロのヴァイオリン奏者であったが、後にギター・マンドリンを専門とするようになった。長らくメンゲルベルク指揮のアムステルダム·コンセルトヘボウ管弦楽団でマンドリンとギターを演奏していた。1919年から第二次世界大戦まで刊行されたヒルフェルスムのリスペート社発行のDe Mandolinegids誌に参画、多くの作品を発表している。さらに、1926年から1930年にかけて、アルフェンのBarend van Zwieten社発行のマンドリン研究月刊誌Het Ned Mandolin Orkestの編集に携わり、斯楽を啓蒙した。1930年には、ラジオ・マンドリンオーケストラを結成、ヒルフェルスムの放送局から150回以上放送された。彼は、マンドリン合奏やマンドリンオーケストラのために多くの作品を提供し、200曲を越える彼の作品が、オランダだけではなく、アメリカや日本でも演奏されている。第二次世界大戦中、ギターとマンドリンのための教則本を書いている。コックの作品のほとんどはオランダのLispet(リスペート)社とBarend van Zwieten社から出版されていたので、コックの作品は、1960年ごろまで我が国ではパリのL’Estudiantina誌から出版された「魅惑島」しか知られていなかったようである。戦後、平山英三郎編「マンドリン合奏曲集(3)」(共同音楽出版社)に所収され、パート譜(2M, D, Gの4パート)の形で出版されたが、L’Orchestre a Plectre誌の出版譜と異なる箇所が多く、個人的には底本とした楽譜を見ていたのかどうか疑念を抱くところである。また、平山版に低音パートを書き加えて「編曲某」とした中学・高校の合奏団での演奏を耳にする機会も多い故、敢て本曲を採り上げた次第である。

115.アラビア風間奏曲「砂漠の沃地にて」  E.マルティ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、
     ギター、マンドローネ
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 作者エリゼオ・マルティはスペインのバルセロナに在住し1963年に逝去したスペインの作曲家。マンドリン音楽研究誌イル・プレットロ誌からマンドリン曲を数曲発表しているが、ピアノ曲も手がけている。この曲は1921年、イル・プレットロ誌の作曲コンクールのマンドリン合奏曲部門第二位に入選した作品。応募時は“Intermezzo Arabo”(アラビア風間奏曲)とのみ題されていたが、同誌出版時に”Nell’ Oasi, Intermezzo arabo”と題された。ちなみに、第一位はファルボの「四楽章の組曲」(出版時に「組曲スペイン」と改題)であった。

イル・プレットロ誌はアレッサンドロ・ヴッツァリ(Alessandoro Vizzari)が主宰し、マンドリン曲の紹介、諸作家の論評、斯界の報道、新人の紹介などを積極的におこない、マンドリン音楽の推進発展に大きな貢献をした。特にマンドリン・ギター曲の作曲コンクールを度々開催し、現代のマンドリン界でも愛奏される作品を多数発掘し、多くの優れた作曲者を紹介したが、その多くはイタリア人に占められていたため、スペインの作者は珍しい。作者には本曲の他に“Jaguetona,gavotta”、“Pasodoble Espanol”、“Petit Persien,marcia”等がある。