オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
106.序曲「イタリアの復活」  G.アネッリ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター
スコア
 原編成と同じ
パート譜 原編成+ベース
解説
作者は、1876年クレモナ近郊トリーゴロに生まれ、1926年に没したイタリアの作曲家。最初V.Petraliの
弟子でオルガニストの父から音楽の手ほどきを受け、ミラノに移って和声、対位法、作曲法並びに楽器編成法をSaladinoおよびGalliについて学んだが、父の死によって学業を中断、故郷に帰りオルガニストおよび指揮者を継がねばならなかった。それでも独学を続け、プライベートの学生としてボローニアのディプロマをとり、1895年から1907年にかけてトリノ近郊カルマニョーラのAccademia Filarmonicaの指揮者および同市の吹奏楽団の指揮者をつとめ、近くの町ブラではヴァイオリンとピアノの教師をした。
序曲『イタリアの復活』は、1800年代フランスの勢力下にあって国内が紛糾、数多くの独立国が勢力を争っていたイタリアが、イタリア統一の理想を抱く熱血児ガリバルディ等の活躍により、ついに年軍を率いてローマに入城、イタリアの統一と独立を成し遂げ、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世を冠して大イタリア国の基礎を築いた感激を音楽に表したものである。イタリア国民の強い正義感、悲嘆にあっても屈しない義勇奉公、統一と独立への強い意志、そして故郷の豊かな自然や優雅を愛する国民としての感情を表しながら、イタリアの興隆を約束するかのように表現している。建国時、首都であったトリーノのイル・マンドリーノ誌による第9回作曲コンクール金賞を受賞した。

107.「序曲フローラ」  G.アネッリ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース、打楽器
スコア 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、打楽器
パート譜 原編成と同じ   
解説 作者は、1876年クレモナ近郊トリーゴロに生まれ、1926年に没したイタリアの作曲家。1897年にはトリノのマンドリン誌イル・マンドリーノに小品を発表するなど、はやくからマンドリン音楽に関係し、1911年にはジュゼッペ・アネッリ・トリーゴロの名で溌剌として清新な序曲『イタリアの復活』 を発表して初期マンドリン合奏に忘れることの出来ない作者となった。この後四つの序曲(『ロマン的序曲』『序曲フローラ』『劇的序曲』『イタリアの覚醒』)を作り、アネッリ風ともいうべきマンドリン合奏における序曲(Sinfonia)の定型を残した。『嬉しいとき悲しいとき』など、多くのマンドリン合奏のための小品をイル・マンドリーノ誌、マンドリニズモ誌(スイス)、レスチューディアンティナ誌(フランス)から発表しているが、残念ながらほとんど知られることもなく演奏されることはない。
 『序曲フローラ』は1925年11月、スイスのマンドリニズモ誌から彼の写真入りで出版された明快な序曲。フローラは花の女神、花による実りに関する全てのこと(果樹、穀物、葡萄、蜂蜜など)を守る。豊作はフローラの恵みによると言われる。マンドリニズモ誌からもアネッリの作品が多く出版された。

108.ワルツ「夕暮れ」 G.サルトーリ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成+ベース
解説
 ジャコーモ・サルトーリは1860年3月8日トレントとヴェローナの中間にあるアラで生まれ、1946年3月25日トレントに逝いた作曲者、オルガニスト、吹奏楽隊長、指揮者。トレントで、1938年まで、ビジル・キルヒナーの代わりにマンドリンオーケストラ「クラブ・アルモニア」を指揮し、トレンティーノ・アルト・アディジェ州の町々や、イタリアの様々な都市で演奏した。彼はプレクトラム音楽の専門家となりマンドリンとギターのためにだけ作曲するようになった。1894-1939にかけてトリノのイルマンドリーノ誌やミラノのマンドリニスタ・イタリアーノ誌から彼の作品が度々発表された。

いくつかの外国のマンドリンアンサンブルが彼の名を冠し、彼を「マンドリンのレハール」と称えた。イタリアの伝統的なメロディ、エレジーやセレナータのメランコリーな詩情、そして陽気で活気のある舞曲は、「サルトーリ調」とも言うべきもので、今も愛奏されている。現在アラで開催されているマンドリンコンクールには、「マンドリン楽器によるジャコモ・サルトーリ国際コンクール」と彼の名前を冠している。アラ市は、市の劇場を「ジャコモ・サルトーリ劇場」を命名することによって、彼の功績を称えた。1990年、彼の作品はアラ市の市立図書館に寄贈された。作品は、約150曲残されているが、その大半はイル・マンドリーノ誌から出版されており、中でも「フローラ」「聖ルチオの鐘」「糸杉の林にて」等がよく知られている。彼の作品で注目すべきはワルツが41曲あり、「マンドリンのレハール」といわれる所以であろうか。


109.間奏曲「白い蝶」 A.アマデイ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜
 原編成+マンドロンチェロ、ベース
解説 作者は1866年12月9日イタリア・ロレートに生まれ、1935年6月16日トリーノで逝去した作曲家で管弦楽指揮者。マンドリン合奏曲の創作は既に1897年ごろから始めているが、1906年ミラノのイル・プレットロ誌主催の作曲コンクールに「プレクトラム賛歌」が受賞。1908年同誌主催の第二回作曲コンクールに提出された「海の組曲」は一位に入賞(このとき、二位はなく、マネンテの「メリアの平原にて」が三位)、以来マンドリン音楽の至宝として親しまれている。マンドリン音楽への作曲、編曲だけでも90曲以上があげられるのは、マンドリン音楽への愛着が並々でなかった証拠といえよう。「マンドリニストの友」と敬愛されたアマデイは多くの優れた小品を残している。本曲もその一つで、1934年イル・プレットロ誌に発表されたものである。この頃から同誌の出版も次第に縮小せざるを得なくなり、スコアはなくパート譜のみの出版が多くなってきている。本曲もマンドリン、マンドラ、ギターによる四重奏曲。アマデイ最晩年の作品の一つで、マンドリンとマンドリンによる合奏を熟知した作者が、力むことなく、難しい手法を用いずに、マンドリン合奏の楽しさを引き出した洒落た小品となっている。

110.「燕のメヌエット」  P.シルヴェストリ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成+マンドロンチェロ、ベース
パート譜
 原編成+マンドロンチェロ、ベース
解説 作者はイタリアの作曲家。1871年モデナに生まれ、1960年に没した。14才から音楽を学び始め、ギター・マンドリンに関心を持つ。ペサロの音楽院でピアノと和声、対位法を学ぎ、卒業後はモデナのウンベルト一世吹奏楽団の指揮者に任命されるが、後にモデナ・マンドリン合奏団を創立する。ボローニャの「イル・コンチェルト」誌を主幹するアルドラバンディの後を受けて、同誌主幹となり、イタリア・マンドリン界を啓蒙すると共に数多くのマンドリン曲を作曲した。

「燕のミヌエット」は未出版曲で、岡村光玉さんがイタリア留学中にシルヴェストリの遺族から作者の自筆譜を譲り受けた。プレクトラム楽器によるクァルテット・ロマンチコ(マンドリン1・2、マンドラ、ギターによる四重奏)のために書かれたものである。故松本譲さんがマンドロンチェロとベースを付けてマンドリン合奏でも演奏できるようにしている。燕が気持ちよく飛び回っている様子を巧妙に軽快に描いている。原曲の編成でも、オーケストラでも演奏できるように自筆譜とオザキ譜庫で作成したスコアも用意している。