全日本社会人大会報告

昭和56年入学 白畑正芳


全日本社会人大会の報告をさせて頂きます。

毎年9月の第3か第4の土日に全日本社会人大会が行われています。
この大会は2部制で、1部はトップクラスの選手が技を競いますが、2部は誰でも出場でき、 補助マットも使えるので、幅広い年齢に渡って全国からの体操愛好者が出場しています。
昨年の出場者の最高年齢は71歳、その他に60歳台2名、50歳台5名、40歳台は14名の方が出場していました。
採点は年齢ハンディがあり、年相応の演技をするとそこそこの点数がつくようになっています。
団体は4人で構成し、ベスト3で団体の点数が合計されます。
全国から、各大学のOBチームや、民間の体操クラブのチームなどが出場しています。
昨年は1部が団体4チーム、個人出場を含め53人の出場者に対し2部は45チーム、300人の出場となり、 今や2部がメインになりつつあります。

この大会に阪大体操部のOBも、 社会人大会2部出場の草分けである山崎君を中心に'87年からはほとんど毎年出場していました。
一昨年から、急にメンバーが増え、昨年は2チームで出場するほどになりました。
また昭和40年入学の中野先輩が2年連続で出場され50歳台の部で入賞するなど活躍されています。
この社会人大会での活動を広くOBの皆様に知って頂きたくここに報告致します。
試合記として最年長の中野先輩と若手代表として溝口君に原稿を書いてもらいました。

以下に

1.阪大体操部が過去に参加した状況

2.昨年の試合結果

3.中野氏(昭和40年入学)の試合記

4.溝口氏(平成元年入学)の試合記

を載せています。これらを見られて、よし、自分も参加してみようとか、 試合場に応援に行ってみようとかの社会人大会出場への理解が深まれば幸いです。



1. 阪大体操部OBの過去の参加状況


( )は入学年度

87年 高山(S54)、柴山(S54)、奥田(S57)、山崎(S57)
 
88年高山、山崎
 
89年高山、奥田、山崎
 
90年柴山、奥田、山崎、吉川(S58)
 
91年不参加
 
92年高山、山崎
 
93年柴山、山崎
 
94年山崎
 
95年柴山、山崎
 
96年奥田、山崎
 
97年中野(S40)、白畑(S56)、山崎(H1)、木村(H4)、坂(H4)
 
98年中野、白畑、山崎、溝口、木村、坂、清水(H6)
 


2. 1998年試合結果

町田市立総合体育館


団体戦結果

銀杏クラブ

選手名 鞍馬 つり輪 跳馬 平行棒 鉄棒 総合得点
中野勝 (51) 6.55 4.60 7.70 8.00 8.45 8.80 44.10
白畑正芳 (35) 7.35 5.00 8.65 7.80 8.60 8.45 45.85
山崎裕史 (36) 6.90 6.50 7.85 8.05 8.50 6.50 44.30
ベスト3 20.80 16.10 24.20 23.85 25.55 23.75 134.25
ぎんなんクラブ

選手名 鞍馬 つり輪 跳馬 平行棒 鉄棒 総合得点
溝口正信 (28) 7.75 2.05 6.70 8.15 6.40 5.30 36.35
木村章 (24) 6.30 2.80 6.20 6.15 6.00 5.45 32.90
坂晃昭 (24) 7.25 4.10 7.45 8.05 7.95 6.25 41.05
清水和也 (24) 7.55 4.05 6.30 7.70 6.95 6.50 39.05
ベスト3 22.55 10.95 20.45 23.90 21.30 18.20 117.35

個人賞

50歳台 個人総合2位 中野勝
ジムナスティック・マスターズ賞中野勝

他大学OBチーム得点

ウルフ体操クラブ (東大・京大OB混成チーム) 115.85
駒場クラブ (東大OBチーム) 137.15
六甲体操倶楽部 (神大OBチーム) 134.60
洛翔体操会 (京大OBチーム) 133.05



3. 中野氏 (昭和40年入学) 試合記

「全日本社会人体操競技選手権大会」 中野勝


一昨年の夏、阪大の後輩の山崎氏から電話があって、「今度、阪大体操部のOBで団体を組んで 社会人大会に出てみようと思っているんですが、中野さんも一緒に出ませんか。」と言って来た。
私は大学卒業以来、阪大のOB戦には参加していたけれども公式の試合には出たことがなかったので、 ちょっと戸惑いを感じたけれども、「まあ声がかかったのも一つの縁だ、出てみようか。」 という気になってOKした。
これまでずっと広島学院中高等学校の体操部の顧問として、週2回の部活の時に生徒と一緒に 練習をして来たので、今更特別なことをする気にもならず、そのまま試合の当日を迎えた。
家内に言うと「やめときなさいよ。」といわれそうなので、試合の前日に突然知らせたが、 びっくりはしたものの反対はしなかった。クラブの生徒にも言わずに出ていった。

この年の試合は北九州市の体育館で行われた。
周りは若い連中ばかりで、いささかお門違いな感じがしないでもなかったが、これまでも生徒の引率で 体操の試合会場に出入りすることは多かったので、すぐに雰囲気になじむことが出来た。
最も得意とする鉄棒で失敗してしまったが、鞍馬や吊り輪などどうしようもない種目も 何とかお茶を濁して、床も4本目まで通すことが出来たので、「怪我も無く終われて、 まずはめでたし、めでたし。」という感じだった。
驚いたのが採点方法で、最初から年代によってハンディがつけられていて、50歳の私には どんな下手な演技をやってもこれより低い点は出さないという基準があるらしく、 結構よい点をつけてくれた。
阪大のOB戦で内輪の水増し点に慣れてはいたが、公式試合でもそれがあるとは全く予想していなかった。
おまけにたった5人しかいない50台の部でも個人総合や種目別でいちいち表彰するらしく、 一足先に帰ってしまった後の閉会式では、私の名前が何度かアナウンスされたらしい。
後になって山崎氏から預かりものだといってメダルがたくさん送られてきた。
大袈裟だなと思いつつも悪い気はしなかった。

昨年、同じ時期になってまた山崎氏から出場の打診があった。
前回は九州だったから出場者が少なかったけれども、今度は東京だから少し増えて、 レベルも高くなるだろうと思いながら、出てみることにした。
今回は最初から家内にも通告しておいたし、東京の親戚や生徒にも話して出てきた。
試合当日はどういう加減かテレビ局の采配で池谷幸雄が広島学院大学体操部を 訪問するということになっていた。
私は入れ違いになってしまったのだが、町田市の体育館に着くと、なんとそこに池谷本人がいたのである。
とりあえず呼び止めて挨拶したのだが、彼はキョトンとした様子で、自分が次の日に訪問する 予定の学校の先生がそこにいるのか理解に苦しんだ様子だった。
彼も私と同じ社会人大会2部に1日目で出場していたそうだ。
オリンピック選手と同じ試合に出ることになるとは思っても見なかった。

試合そのものは特にどうということなく無事に終わったのだが、 残念なことに50歳台の出場者は5人しかいなかった。
プログラムによれば、私が51歳、吊り輪だけ出たという外人さんが52歳、後は56、57、59歳だから、 一番若い私が優勝しなければおかしいのだが、実はもっと強いのが一人いて、2位にしかなれなかった。
情けない話である。
しかも前年は4種目しか出ていなかったのにこの年は6種目に出ていた。
まだまだ上がいるのである。

驚いたのは「ジムナスティック・マスターズ」なるものを頂いたことである。
最初はピンと来なかったのだが、色々な人と話をしているうちに段々とその価値が分かって来た。
「体操競技大会高年齢出場者」とも呼ぶべきものなのだが、 この年齢で出場すること自体が難しいことのようである。
60台、70台の人も出場していたが、彼らを含めても上から数えて10本の指のうちにおさまる所にいたわけである。
「おまえは、もうそういう年なんだぞ。」と烙印を押されたような気もしたが、やはり光栄なものには違いない。

試合が終わって学校に帰ってから、先生方や生徒たちに結果を報告して、「来年もがんばります。」と言って来た矢先に、 なんと大怪我をしてしまった。
10月17日(土)の放課後、鉄棒の正車からのツイストで持ち損ねて吹っ飛び、 20cmのソフトマットに右肩から落ちてしまったのである。
一瞬これまでに味わったことのない激しい痛みに襲われ、右肩がしまりなくユラユラと揺れる感じがした。
その場はちょっと離れて休み、家に帰って湿布をしただけで終わり、医者に行ったのは週明けの月曜日の夕方だった。
「骨には異常なし、肩関節の周りの筋肉と靱帯を痛めている。」と言われた。
ひと月くらいで治るだろうと思っていたが、 意外に長引いて年末にやっと痛みをこらえながら鉄棒の正車をやれるところまで回復しただけだった。
実は無理は禁物で、3ヶ月たった今もまだ様子を見ながらリハビリに努めている。

ということで、とても体操のできる状態ではなくなってしまったのだが、 「こんな怪我で体操をあきらめるのはいやだ。ジムナスティック・マスターズなる称号をもらった途端に怪我で 体操を止めたのでは情けない。何としてももう一度体操の出来る体に戻したい。」 という強い欲求にかられている今日この頃である。
今年の試合に出場できるかどうかまだ分からないが、何とかして間にあわしたいと思っている。



4. 溝口氏 (平成1年入学) 試合記

「社会人大会の感想」 溝口正信


最初は、酒の勢いで申し込みをしたのですが、1回(一昨年)出場すると、今回もお声がかかり、 2回目も出場させてもらいました。
初めての社会人大会の出場は、社会人になって3年半ほどのブランクの後でした。
入場口に整列し、久々の心地よい緊張感を味わい、なぜかうれしかったのを覚えています。
そして、試合が終わった後は(試合前とは打って変わって)異様に練習したくなって、 それが、1週間から1ヶ月ぐらい続くというのが、社会人初出場の一般的傾向です。
2回目は、その状態がもう2ヶ月くらい続いており、早くも次回の出場が楽しみです。
今回は、阪大OBから「銀杏(いちょう)クラブ」と「ぎんなんクラブ」という2チームで出場しました。
次回は、メンバーとしてとりあえずギンガーにチャレンジしなければいけないという「ぎんがークラブ」 を結成しようという話が出ています。
だれか、参加しませんか?


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