大阪城

「大阪城趾絵葉書」:小天守台
  「徳川氏大阪城修築のとき、大天守台と共に加藤忠広之を築造せしものなり」

  この絵葉書が作製された昭和三年当時には、天守閣はまだ再建されていませんでした。天守閣の再建は昭和六年になります。その背景には大阪市における伝説的な市長「関 一(せきはじめ)」の活躍があるのですが、それについては別の機会にしたいと思います。

  この絵葉書に大砲が写っていることに気がつかれるかもしれませんが、これが「お城のドン」であると思われます。
「お城のドン」とは、当時の陸軍により明治3年(1870)から、朝・昼・晩の3度、空砲により時報を鳴らしたことに始まり、明治7年からは正午のみとなったのですが、大阪市中に毎日とどろき渡ったため、大阪市民にとって正午の時報になり、「お城のドン」として親しまれたものなのです。 





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