伊藤公即死

伊藤公即死
  おだやかなタイトルではありませんが、明治42年10月26日、満州は東清鉄道ハルビン駅にて伊藤博文が、安重根(アンジュングン)ら韓国人により射殺されました。

  絵葉書はその時の号外と写真を掲載したもので、事件後かなり早い段階で作成されています。と、言うのもこの葉書が明治42年11月5日付消印の押された使用済みのものだからです。東京に住む送り主は、郷里の熊本へ宛ててその冒頭に、『秋深きに伊藤公の薨去は更に一層の悲哀を加え…』と綴っています。事件後10日足らずで既に流通していたわけで、絵葉書が当時大変に重宝され盛んに利用されていたことが、このことからも窺えます。又、送り主は文中、『…二三の絵葉書(恐らくは熊本の風景を描いたもの)が思い出を深からしめゆく…』とも述べていますので、絵葉書を使ってのやりとりが、一般的であったろう時代背景を偲ばせるのです。

  さて、号外の文面をご紹介しておきましょう。
  「今朝午前十時伊公は哈爾賓停車場到着の際プラットホームに於いて韓人のため狙撃せられ即死せり 又田中満鐵理事 川上總領事は軽傷を負ひたり 韓人三名は現場に於いて直に捕縛せられたり」
  第一報はこのように報道されたわけですね。


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