乃木大将自殺

「乃木大将自殺」
  日露戦争旅順攻略で名をはせた、乃木将軍の自殺を報じる号外(大正元年九月十四日付)を絵葉書にしたものです。

  自殺の原因は明治天皇への殉死でした。

  乃木将軍は、西南戦争の時、軍旗を奪われるという失敗をおかしています。遺書ではそれを殉死の理由に挙げていたとのことです。
  日露戦争時、二〇三高地での激戦において多数の兵を死なせ、自分の息子二人をも戦死させるという悲惨な出来事に直面している乃木将軍ですが、しかし、彼の武士道的な立ち居振る舞いが欧米の従軍記者たちを感動させ、世界的に有名な将軍として脚光を浴びたのでした。
  日本においても英雄視されたのは当然のことです。

  そのような乃木将軍の自殺は内外に大きな波紋を広げたことでしょう。尚、婦人もこの時、殉死されています。

  時に、大正元年九月十三日のことでした。
「明治天皇御大葬青山葬場殿全景」
  乃木大将が出席するはずだった「青山葬場殿」です。東京の地理には詳しくないのですが、現在の神宮外苑聖徳記念絵画館敷地に該当するそうです。
「明治天皇御大葬 桃山の部」
  ちなみに、明治天皇はその御遺志により京都伏見桃山御陵に埋葬されました。この一枚は「桃山の部」となっていることから、京都伏見での場面と思われます。

  その後、大正九年十一月一日、東京に明治神宮が創建されています。 


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