近江八景

  日本全国津々浦々。「どこそこ○景」と数えられる名所は数多くありますが、それらの元祖
とも言われる「近江八景」です。

近江八景袋

  「近江八景」の歴史は、中国の洞庭湖周辺の景観を数えた「瀟湘(しょうしょう)八景」をモデ
ルに、室町 時代、近江周辺の名所を数えたことに始まります。
  ちなみに「瀟湘」とは中国湖南省洞庭湖において、瀟水と湘江という河が交わるところから
付けられているようです。
  では「近江八景」と「瀟湘八景」をちょっと比較してみましょう。

近江八景
瀟湘八景
比良の暮雪(ひらのぼせつ)
江天暮雪(こうてんぼせつ)
堅田の落雁(かたたのらくがん)
平沙落雁(へいさらくがん)
唐崎の夜雨(からさきのやう)
瀟湘夜雨(しょうしょうやう)
三井の晩鐘(みいのばんしょう)
煙寺晩鐘(えんじばんしょう)
矢橋の帰帆(やばせのきはん)
遠浦帰帆(えんぽきはん)
粟津の晴嵐(あわづのせいらん)
山市晴嵐(さんしせいらん)
瀬田の夕照(せたのせきしょう)
漁村夕照(ぎょそんせきしょう)
石山の秋月(いしやまのしゅうげつ)
洞庭秋月(どうていしゅうげつ)

  「なんだ、パクリか」とは言わないように。「憧れて」或いは「お手本にした」と言うべきでしょ
う。
  この「近江八景」の選定については、室町後期の関白、近衛政家(このえまさいえ)による
選定という説や、江戸初期の関白、近衛信尹(このえのぶただ)選定という説などがあります
が、それらはあくまで最終選定者についてであって、一般には室町後期に「瀟湘八景」への憧
れから、近江を訪れた僧たちによって見いだされ、江戸初頭に確立した。とされています。

琵琶湖マップ

  絵はがきの風景は、明治末あたりから大正初期にかけてのものと考えられます。又、近衛
信尹作と伝わる和歌八首もご紹介します。


「近江 比良之暮雪」
「近江 堅田浮御堂」
「近江 唐崎之老松」
「近江 三井寺全景」
「近江 矢橋之帰帆」
「近江 粟津之晴嵐」
「近江 瀬田之唐橋」
「近江 石山寺本堂」




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