大阪城

「大阪城趾絵葉書」:二之丸の一部(1)
  「乾矢倉及遠く伏見矢倉の眺望なり。堀は慶長冬の陣和議の際、一旦埋められしも後、徳川氏更に西国大名をして掘らしめたり」

  乾矢倉(櫓)は元和6年(1620)に造営された城内最古の建造物といわれています。遠景の伏見矢倉(櫓)は空襲により焼失しています。





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