宇治川のほとりに平安の雅を見た!
 ...かな?


  秋晴れの10月31日。世間は水曜日の平日だというのに、宇治川の景色を求めて、京都
市内から一路、国道1号線を南下していく一台の車がありました。 …って、わたしなんですけ
どね(笑)。

  今回は宇治川のほとりに点在する明治から大正期の絵はがき風景を求めて、京都府は宇
治市に向かいました。
  宇治市は、あの、世界遺産の平等院がある超有名な観光地です。京都市の南に位置して
おり、古くからお公家さん達の別荘地として栄えてきた場所でもあります。

  京都市内から国道1号線を南下し、横大路を左折。府道124号に入り、続いて観月橋北詰
交差点を右折。国道24号線に入ってしばらくすると、京滋バイパスの高架が見えてくるので、
その下を左折。さらにすぐ左方向に入ってまっすぐ進むと府道241号へ出ます。あとは宇治川
沿いを上っていけば自然と宇治橋まで連れて行ってくれるのです。(う〜ん、実りのない説明だ
なあ)

  平等院近くの終日700円の駐車場へ車を停めて、さあ、行きましょうか。

  平等院は永承(えいしょう)7年(1052)、関白藤原頼通によって建立され、鳳凰堂はその
翌年の天喜元年(1053)、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂(国宝)として建立されました。 
――平等院拝観券より
  元々は藤原道長の別荘だったんですけどね。

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  わたしは南門から入ったのですが、順路に沿って歩いていくとやがて鳳凰堂の裏手に出ま
して、不動堂に至ります。ここには「頼政公」のお墓があるのです。
  さっそく、見比べてみましょう。


  気のせいか、背が伸びたような...(笑) 
  左の絵はがきは明治期の様子と思われますが、かなり苔むしているようです。それに対し
て今の様子の方がきれいになっていますね。造り直したようです。背景も一致しないようです
が、堂内で移築したのかもしれません。でも、お墓ですからねえ。移築するかなあ。

  ところで「頼政公」って誰? という方には下の案内板を見ていただきましょう。
  読めないですね…(笑)
  平清盛と同時代の人ですが、清和源氏嫡流の義朝とは、かなり以前に系統が違っています。五代前に源頼光という豪傑がいますが、この人の弟に頼信という人がいて、これがあの八幡太郎義家の祖父にあたるのです。
  このあたり、歴史に興味がないとさっぱりですね(笑)。さらに詳しくは 「ぎゃらりぃ」 をご覧
下さい。

  ちなみに、頼政公が自害されたと伝えられる場所が左の写真です。「扇の芝」といいます。ここに扇を敷いて自害されたのだそうです。

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  さて、続いて超有名な、鳳凰堂です。10円玉の表にも描かれています。ここはとても美しい
建物です。これは是非、実物を御覧いただきたいです。本当に綺麗な建物です。

 

  見た目、ほとんど変わりはありません。そりゃそうですね。世界遺産がコロコロ変わってい
てはいけません。


  一言だけ...(不満)

  ここ平等院には、宝物殿にあたる鳳翔館という施設があります。最近建てられた素晴らしい
施設ですが、ただ暗いのが難点。年輩の人には、解説文を読むのも辛いのではないだろう
か。足下も不安になる。本当に暗いのです。展示品の保護のためでしょうが、なんとかなりませ
んかねえ。

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  ここまでは有名な場所がターゲットでしたから、さほど苦労はありませんでした。しかし、こ
のあとの二カ所は知らない場所です。 で、平等院出口の案内の人に聞いてみましたところ、
大変ていねいに教えてくださいました。本当にありがとうございました。