真言宗 乙訓寺(おとくにでら)
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お知らせ 平成22年1月1日より入山料が改訂されます
*団体は30名以上の場合 |
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この地は二千年前の弥生時代から多くの人が住んでいた この景勝の地に聖徳太子は十一面観世音菩薩を本尊とする伽藍を建立させた この寺が即ち乙訓寺である 桓武天皇は延暦三年(784年)に長丘に遷都されたとき京内七大寺の筆頭として乙訓寺を大増築された この東寺の境域は、南北百間以上もあり建てられた講堂は九間に四間の大建築で難波京の大安殿と同じ規模のものであった 翌四年 藤原種継が春宮房の人々により暗殺されるや天皇は皇太子早良親王を当寺に幽閉された 嵯峨天皇は弘仁二年(811年)十一月九日太政官符をもって弘法大師を別当にされた 大師の残されたご事跡も多く八幡明神の霊告をうけて合体の像を造り、また毘沙門天像を刻んでは国家の豊楽を祈られ あるいは境内に実る柑子を朝廷に献上され また伝教大師と法論をかわされている 講堂や大師のご起居されたと考えられる単独僧坊跡が発掘調査され出土がわら等により 平安期に隆盛を極めていたことがわかっている 永禄年間(1558~1569年)信長の兵火により一時衰微したが 元禄六年(1693年)五代将軍綱吉は、堂宇を再建して乙訓寺法度をつくり寺領を寄せ徳川家の祈願寺とせらる 草創から一千三百有余年 時に盛衰はあったが 祈願寺として今日に及んでいる 四月下旬から五月上旬にかけて牡丹が花ひらき これに前後してつつじなども咲き陽春は花の寺と化する
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