Ethan Weisgard
World Jazz Monthly

 

The Danish Radio Big Band and Benny Golson - Denmark Tour February 2003

今回のレポートは「ベニー・ゴルソン・プロジェクト」です。
夢中になってチョット長くなってしまいましたネ。スイマセン。興奮がおさまりません。何たってベニー・ゴルソンと一緒に仕事をしたということは特別な経験なのですから。ジャズに詳しい方なら、彼が如何にこの世界で歴史的な重要人物であるかを御存知でしょう。それは王様や王族とお近づきになるようなものなのです。
もう一度繰り返しますが、このレポートは翻訳するのに時間が掛かると思います。でも、日本にいる多くのベニー・ゴルソン・ファンの為にも頑張って貰いたいです。また、そのファンの方々にも、このレポートを楽しんで貰いたいものです。
将来、ベニーと一緒に日本ツアーが出来ないかと話し合いました。もし日本で私達のCDthe DRBB with Benny Golson]がリリースされるならば決して夢ではありません。それが現実となることを心から望みます。
それでは「the DRBB with Benny Golson」レポートに入りましょう。

デンマーク放送ビッグ・バンド(以下、DRBB)は、偉大なテナー奏者であり作編曲家であるベニー・ゴルソンと初めて仕事を共にしました。
ベニー・ゴルソンは、これまで全ての偉大なジャズマンと演奏してきました。伝説的なサックス奏者であるジョン・コルトレーンの話をする時など、同僚であり友人として非常に親密な関係だったことを話してくれます。皆さんのようなリスナーにとっては、ジャズの歴史が創られてきた素晴らしい時代を垣間見るようなものです。彼が、コルトレーン、ディジー・ガレスピー、クリフォード・ブラウンやその他の多くのミュージシャン達と演奏した昔の話をすると、形式的なジャズの歴史話しでなく、そうした有名な人々の生活振りや魅力的な個性までをも知ることになるのです。
DRBBは、我らがソロイストであるベニー・ゴルソンが到着する二日前からリハーサルを行い、彼の到着に合わせて、ある程度の形を作っておけるようにしました。リハーサルの三日目に彼が到着し、私達は直ぐに彼が“Special Man”であることを認識しました。彼は、バンドの面々に暖かい笑みと共にバンドに合流し、ツアーの曲目をこなしていきました。「ブルース・マーチ」「クリフォード・ブラウンの想い出」をはじめとする本当によく知られたこれらの曲を演奏すること ーしかも私達の共演するソロイストが書いた作品ー は、素晴らしい体験でした、としか言いようがありません。リハーサルの三日間を通して、ベニーはこれらの曲を作った経緯を話してくれました。それを聞くたびに、正しくジャズの歴史の1ページを与えられたようなものです。
ベニーとのリハーサルは、本当に喜びと言えるものでした。彼は終始よいムードを保ち、しかも非常に熱心でした。メンバーがよい演奏し、バンドが良い音を出すと常に褒め称えてくれます。これは彼が、人生の全てを音楽とミュージシャンと共に過ごしてきた証。所謂、真のプロフェショナルであることでしょう。
最初のコンサートは、デンマーク第二の都市、オーフスで行われました。コンサートは大成功。ベニーは、リハーサルの間中、何度曲を繰り返しても、常に最高の演奏をしてくれました。しかし私達のバンドと共に初めて聴衆の前に立った時、ベニーは自身の演奏に特別なマジックを加えました。ベニー・ゴルソンのサックスの音質は特別です。特にスローな曲でのエンディング・ノート等では、彼のトーンや息遣いにベン・ウブスター・タッチが伺われますし、彼と同時代を生きた他の偉大なサックス奏者の痕跡も見出せます。しかし全てが彼自身のサウンドであり、フレーズも特別です。所謂、多くのミュージシャンが呼ぶ所の“アレンジャーズ・ホーン”です。この意味は、編曲家・作曲家としての知識が故に、高度な技術を要求されるラインを演奏する所からきています。勿論、プロのホーン奏者達は、高レベルの訓練を積んでいるのです。しかし、どういう訳か演奏家は、そうした偉大なアレンジャーには“何か特別なモノ”があると思うものです。
私達は、最初のコンサートの二日後にデンマーク放送ビルのスタジオに入って、今回のツアーで演奏した曲を中心に、CD用のレコーディングを行いました。通常、CDを制作する時は、数日掛けるのが普通ですが、今回のセッションでは全てが順調で、殆どの作品が“テイクワン”でOKとなりました。レコーディングの為に、その曲を最初に演奏して録音する場合は“キーブ”する程度のものです。多くの人々は理解していないことですが、アルバムに曲を収録する際、最高の演奏を決定するまでは、時として何度も何度もトライするのが普通です。しかも再録や部分録りの為に、スタジオに戻ることもあります。私達の場合は、約80%が“ファースト・テイク”で、残りは概ね二回程度、曲を通しただけでした。夜、レコーディングを終えた時、バンドのメンバー全員がハッピーで、まるで子供のように笑っていました。このCDが傑作であることを皆が解っていたからです。
二回目のコンサートは、私達のお気に入りのクラブ「コペンハーゲン・ジャズ・ハウス」でした。クラブは超満員で、若い聴衆も相当多かったのです。若い世代の人達に、良質のジャズのテイストを与える事。すなわちモノホンのジャズを解ってもらえる!となるので、私達としては非常に嬉しくなりました。ベニー・ゴルソンが、彼と同世代の最後の偉大なジャズマンであり、ジャズの歴史を創造してきたその一人であり、正にその生証人が未だに強力な演奏をしている、という事を認識しているのか・・・?。でも、そんな事は兎も角、彼等は観客としてコンサートを楽しんだのです。
ベニーは、演奏した曲について話をしてくれ、聴衆は彼の一言一言を注意深く聞いていました。年輩の聴衆は、彼自身や彼の音楽に付いては知っているので、よく聞いていました。
私自身が敢えて言うなら、クラブの熱気と聴衆の暖かい反応に刺激され、素晴らしいコンサートになったのです。
ベニー・ゴルソン(真のジャズプレイヤー)は、私達のバンドのソロイストに演奏するチャンスも与えてくれました。彼は聴衆にこう言いました。「世界中で多くのバンドと演奏してきましたが、これほど多くの優秀なソロイストを揃えたバンドと共演するのは初めてだ」。彼は、私達のソロイストが演奏しているのを、暖かい満面の笑みを浮かべて聴いているのです。
最後のコンサートは、ユトランド半島のフレデリシアと呼ばれる街の小さなジャズ・クラブで行われました。
そこは、本当に小さなクラブで、バンドのステージもとても狭く、プレイヤー同士が隙間なしに座っていますから、各自の楽器からの音が響き合い、ひとつのパンチの効いた音として捉えられ、緻密な演奏になりました。この最後のコンサートは、コペンハーゲン・ジャズ・ハウスと同じくらい素晴らしい出来でした。
どのコンサートでも、ベニーは演奏曲に付いての話しをしてくれましたが、話す度に何か特別の思いを持っていたようです。
私は、彼の知識や想い出の一部を共有出来た今回の特別な出来事を生涯忘れないでしょう。

ベニーは、婦人と娘さんを今回のデンマークの旅に同行しました。彼等は素敵な家族で、礼儀正しいにも関わらずフレンドリーでした。ベニー・ゴルソン自身は、正にジャズの紳士であり、服装もエレガント、フレンドリーで、音楽の世界を渡り歩いてきた最も言葉遣いの上品な人々の一人です。
彼に逢、彼と共に演奏出来たことは本当に光栄でした。またベニー・ゴルソンにとって唯一のビック・バンド作品といえる、希望に満ちたジャズ・ハウス・コンサートのライブ・バージョンからの幾つかを含んだ最新のレコーディングも行うことが出来ました。彼とのレコーディングは、本当に貴重な体験でした。
更に大きな喜びは、この偉大なジャズ・プレイヤーと友情を築くことが出来たことです。私達は皆、この友情をいつまでも続けて、再び彼と共に働く喜びを出来るだけ早く持ちたいと心から願っています。

2月25日
イースン・ウイスガード (デンマーク放送ビック・バンド)

 
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