This page is an introduction of the impressive album from my collection

LAST FOREVER
NOBUO HARA and His Sharps & Flats




1961/Art Blakey &
The Jazz Messengers


Chiemi Eri & Count Basie VS
J.Witherspoon & Sharps & Flats


In Newport


Quincy Jones / Reflections

1. Take The "A"Train
2. Blues On Parade
3. One O' clock Jump
4. Artistry In Rhythm
5. The Midnight Sun Will Never Set
6. Sumie

7. Umegae No Choozubachi
8. Koto
9. Makkana Taiyou
10. Come Back To Sorrento
11. Aranjuez
12. Sing Sing Sing
13. Blue Flame

原信夫とシャープス&フラッツ
leader / ts :
原 信夫
reeds :
佐藤達哉(ts, 猪目慎一(as, 大山日出男(as, 森川信幸(bs
trombones :
片岡雄三, 佐藤俊次, 橋本佳明, 堂本雅樹(btb
trumpets :
薮原晋, マイク・プライス, 佐久間勲, 菊池成浩
rhythm section :
岩見淳三(gtr, 鷹野 潔(pf, 佐瀬 正(b, 板垣貴庸(ds

Recorded at Tokyo Bunka Kaikan. November 11, 2008


 原 信夫とシャープス&フラッツが2009年7月末をもって58年間に及ぶ活動にピリオドを打ちます。「寄る年波に勝てず!」と胸の内を語る氏ですが、各地のファイナル・コンサートは最後の氏の勇姿を目に納めたいと、どこもツアー・チケットが完売になっているそうです。そのファイナル・コンサートから2008年11月2日に行われたクラシックの殿堂、東京文化会館でのコンサートの模様を収録したビデオがリリースされました。過去58年の演奏活動の中、氏が目指した音楽から選曲した「集大成」と言っても過言でない内容です。画質、音質共に最高水準であるのが嬉しい。

 原 信夫氏は、1951年9月、24歳の若さで10人編成のバンドを立上げ、横浜にある進駐軍のクラブ「ヴィラ」で演奏中に黒人兵から「ヘイ、シャープ!」(いかす奴!)と声を掛けられたことがバンド名に由来します。1953年5月、田町にあった米軍の「バタフライ・クラブ」の専属となり、ジミー竹内、谷 啓等を擁し、第一期黄金時代を迎えます。
 1961年1月、初来日のファンキー・ジャズの王様「アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ」とテレビで共演するなど、この頃が第二期黄金時代と言われました。
 1963年6月8日、初来日したカウント・ベイシーと共演、歌手に江利チエミ、ジミー・ウィザースプーンと白熱のステージを飾り、10年後の1973年に三度目の来日をしたベイシーは油井正一氏のインタビューに「私が首ったけになっているバンドがひとつある。原信夫とシャープス&フラッツだ!」と語っています。
 1965年、初代のギターに野口武義を起用し、17人編成のビッグ・バンドの基盤を創り、そして1967年6月29日10時、羽田発JALで「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」出演に向けて出発。7月2日、日本人ジャズ・バンドとして初めて「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出演しました。ゲストに山本邦山、幽玄な尺八の音色に米国人は魂消た事でしょう。
 1981年7月、「愛のコリーダ」の大ヒットで来日したクインシー・ジョーンズと二度目の共演、この時のボーカルがクインシー・ジョーンズの秘蔵子、バディ・オースチンで、総勢52名の大編成オーケストラのゴージャズなステージにファンを魅了しました。
 こうした幅広い活動が評価され、1998年「勲四等旭日小授賞」を叙勲する栄誉に輝いています。
 シャープス&フラッツのエンディング・テーマ「ブルーフレイム」の中で、ステージを立去って行く原氏の後姿に、これで一つの時代が終わって行くのだ、と感慨を覚えるラストでした。(February 8, 2009)


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