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2009年初スキー(12月31日〜1月3日)
  家族全員(5人)で行くスキーも最後になりそうです。
子供たちとのスケジュール調整も困難になり、唯一全員が揃う日が宿泊料金の高い1月1日〜3日
になってしまい、三が日をスキー場で過ごすことになりました。(妻は、上げ膳、据え膳で喜んでいます)

18年前の写真 長男を抱え頂上へ 
 我が家は、子供たちを4歳のころからスキー場に連れて行っています。

写真は、長男4歳・奥神鍋スキー場第5リフト
 1991年2月撮影


 スキー用具はmyスキーのため、手入れや点検で出発前は大変です。いつも自家用車で行くので、数年前にエアロボックスを購入、余裕で荷物が入っていたのですが子供たちもだんだんと大きくなり、全員で行くとなると自動車の室内に持ち込まなければならず、末娘の寝る場所が狭くなってしまいました。(文句も言わずに寝ていましたけれど・・・)
 行き先をまだ書いていませんでしたね!
スキーのメッカ志賀高原です。(熊の湯スキー場)
 私自身17歳からスキーを初め、その頃のホームゲレンデは兵庫県の奥神鍋スキー場で自宅から約2時間30分と近場で15年余り通っていました。
その頃お世話になっていた宿は、第2リフトのすぐ下にある大畑家(井上さん)です。懐かしいですね。 
  社会人になり、会社の同僚と初めて行ったのが志賀高原でした。雪質が全く違い、すごくスキーが上手くなったように思えました。「これがパウダースノーなんだ」と病み付きになり、毎年、シーズンに15日程は行っていました。奥神鍋 1 : 志賀高原 2 ぐらいだったでしょうか。今は、井上さんに悪いのですがスキーに行くとなれば志賀高原!!(めっきり回数は減ってシーズン2回で5日〜7日)
 12月31日大晦日、例年だと紅白歌合戦が始まる前には新年を迎える準備が完了し、家族団欒のはずが、私一人 車庫でスキー板やタイヤチェーンの点検&荷物を積み込みながら、「紅白歌合戦の録画を頼むぞ!!」 と叫んでいました。(なんでもっと早く準備してないねん!ってところですが・・・)
結局、積み終えたのは10時過ぎ、今回は長男が半分運転してくれると思い、仮眠も取らずに紅白の大詰を見ていました。
 午前0時、新年を迎え、「そろそろ出発しよう!」と長男にキーを渡し車庫に向った瞬間、妻から「あの子、徹夜のバイトで風邪をひいてるよ!」と言われショック!!!志賀高原までの約8時間を一人で運転することになりました。(帰りは頼むぞ!)
 ホテルまでもう少し。昨日からの雪で積雪も十分、雪質も良さそうです。温度も−7℃とさすがに冷え込んでいます。白銀の世界を眺めながら後部座席では、子供たちがいつの間にか起き出して、携帯のカメラで「カシャッ、カシャッ」「シャララーン、シャララーン」と友達に送るための写真を撮っています。 
 私の疲れもピークになる頃、ようやくホテルへ到着。チェックインは、15:00ですがアーリーチェックインを申込み、部屋へ直行!ホッと一息、ティーバッグのお茶がおいしく感じました。部屋の窓から外を見ると続々とスキーヤーが・・・
早く滑りたいという気持ちと睡魔が喧嘩しています。結局、ゲレンデに出たのは11:00になり、「もったいない!もったいない!」
   
ホテル前
 さすがに初日の元旦はリフト待ちもなくゲレンデもご覧のとおり、貸切状態です。熊の湯スキー場は、隣接する横手山・渋峠スキー場や笠岳スキー場へも足を伸ばせ、飽きないスキー場です。もっぱら我が家は、スキーヤーonlyの熊の湯スキー場で楽しんでいました。(スノボは禁止)
 頂上からの景色は最高!!
第2リフト頂上から北アルプスの連山が見え、しばらく、何もかも忘れ見惚れてしまいました。(私の楽しみです。)この日は、晴れたり曇ったりで午後からは、ほとんど見えなくなりました。残念!(写真も撮れず)連山の中には野口五郎岳という名前が付いている山があります。
 名前の「野口」は、この山が属する長野県大町市の集落「野口」に由来し、「五郎」とは大きな石が転がっている場所を表す「ゴーロ」の当て字である。
 歌手の野口五郎は、この山の名前を貰ったそうです。             (ウィキペディアから抜粋)

 第2Aコース頂上    標高1920m
      頂上付近は何度なのでしょう。樹氷(成長期)がいろんな形を創り出し、光を反射し大変美しかったです。木の一番上の部分が”鳳凰”に見えませんか?(家族に話すと無視されました。みんな美的感覚はないのかな!?)
スキー場のほとんどの木がこのような状態で幻想的でした。
  空から舞い落ちる雪を見ると大きな結晶(手袋の親指部分)が肉眼ではっきりと見えます。

 リフトから見える木々です。この辺りは、山の中腹のため風も強くなく、樹氷の出来る”着雪期”から”成長初期”といった段階でしょうか。
 この景色を見ながら一日目・二日目を楽しく滑りました。
 1月3日の最終日、”天候も悪く吹雪なら帰る”と決めていたのですが、午前中はまだ滑れそうなので半日券で12:30まで滑ることにしました。この日は前日、長女が転倒して膝を痛め、大事をとって不参加、妻も辞退(カメラマン)、結局残りの3人でスキーを楽しむことになりました。しかし、半日券は割高で休憩していたら元を取ることができないので、「休憩は、リフトに乗っている時間だけ!」と意思統一・・・

 2本のリフトを乗り継ぎ一気にGo!
”休憩はリフトだけ!”と言ったものの、数回繰り返したところで私の”太もも”が笑い出し、速度を緩めると置いて行かれてしまいます。
 
 ちょうどこの時、山頂付近の天候が悪くなり、”山頂のリフトはだめだな!”と一本のリフト(中級・初級コース)で滑ることになり残念!(内心はホッとしました。)


 親父、頑張ってるぞ!まだまだ大丈夫・・・
先頭は私、そして末娘・長男、3人でトレーンです。前日は4人でしたがカメラマンがいなかったのでショットなしです。
 1月3日ともなれば初すべりを楽しもうというスキーヤーが増えてきたようです。リフト待ちの列が出来始め半日券も元を取ったことだし、のんびり時間まで滑るとしよう・・・


 昼食の時間も過ぎ、みんな”お腹ペコペコ”状態。ホテルの控室では、妻と長女が荷物をまとめて、帰る準備は万全です。ロビーには、今からチェックインするスキーヤーが次々と・・・。天気予報によると4日から安定するとかで名残惜しいですが、ホテル玄関前で記念撮影のあと、我が家へLet’go。

第4Aコース頂上    標高1870m
 三日間、お世話になったホテルは、「志賀高原ホテル 一望閣」ゲレンデは目の前、駐車場も玄関前、myスキーの積み下ろしも楽々でした。新しくは無いですがアットホーム的、食事も”まあまあ”、温泉も掛け流しの天然硫黄温泉です。貴金属アクセサリーの種類によっては、黒く変色しますよ!

 帰りの運転は誰?
    道を見ると雪道、その先は下り坂・・・
            結局、私が運転することに・・・
 食事は、まだでしたね!
ようやく中野市街、町並みが見え、道の駅で信州そばを食べることにしました。天気も良くなり、満腹になって機嫌まで良くなったのか駐車場で景色を見ながらふざけています。後ろには、去年の春スキーで行った高井富士が見えます。

 長野県で最後に必ず立ち寄るのがこのお店「信州フルーツランド」 おみやげ物・レストランを併設し観光バスも立ち寄っています。(大型バスが入ってくると店内は騒然としますね!マナー?)
 バス客もいなくなり、妻と子供たちがゆっくりとおみやげの品定め、”こんなに買うの!”と言うと指を折りながら人数の確認、私は毎回のことですがりんごのコーナーへ、段ボール2箱分!末娘の寝る場所がなくなりました。

高社山(高井富士)をバックに・・・3人娘? 

恒例のりんごの試食

いつも明るく親切に対応してくれるお店のお姉さん
 フルーツランドを後にしたのは15:30、これから安全運転で出発。途中、京都南〜茨木間の帰省渋滞があったものの休憩を入れ23:30に無事到着しました。しかし何か物足らない!そう!お正月といえば「白味噌仕立てのお雑煮」(私の好物)です。明日を楽しみにして、おやすみなさい!