9日1時ごろ
氷河。短い。車窓から。
9日12時ごろ
ジープタクシーが、道路をそれて小さな村の方へ進む。
頼まれた荷物を積みでもするのかと思ったら、
なんとランチタイム。
ジープの左側、トタン小屋がレストラン。
即席ラーメンが人気みたいだったけど、
ダル(豆カレー)を食べる。
ピンクの女の子はティンレー氏の隣の家の小学生。
なかなか英語が上手。
もう一人、男の子も同乗。車の中で二人楽しそうに一泊二日の旅を楽しんでいた。
夏休みが終わってレーのランドムスクールに戻るとのこと。
9日11時ごろ
パドゥムからレーへの途中、ジープタクシーの車窓から。
だだっぴろい河原正面に小さく見えるのはランドゥムゴンパ。
9日10時ごろ
氷河に削られた地形、U字谷かな?
その奧に雪を頂く山。
ラダックに来ると、いつも地形の美しさにワクワクする。
9日9時半ごろ
パドゥムからレーへ戻るときの、3度めのドゥルンドゥルン氷河。
長大。
ようやくクリアな姿を目撃。
白い河に見えるところだけでなく、向き合う山の斜面の間の、土で覆われている部分も、白い氷の面が見えないだけで、氷河の一部。見ためより氷河は幅広い。
8日4時半ごろ
パドゥムの背面、タグリモゴンパから。
右と左から川が合流し、右奧へザンスカール川となって、レー、インダス川方向へ流れる。広大な河原のまん中あたりから少し向こうにかけて、段丘の上にピビティン村とウフティ村が見える。
左奧の山すそにカルシャゴンパが見える。
このページ7枚目の写真とちょうど逆方向、ま向かいから撮った写真。
それにしても、泊めてもらっているウフティ村からここまで登ってくるだけで、
息が切れて苦しくて、疲れてしまう。
それなりに高地順応してきてはいるものの、楽々歩いている人がうらやましい。
右手の山は青緑色の石ばかりがごろごろしていて、
塗料を吹き付けたような不思議な色をしている。
8日3時ごろ
パドゥムの背面、タグリモゴンパの法要に連れて行ってもらった。
写真は、法要前の、ピクニックのような食事風景。
ウフティ村、ピビティン村など、パドゥム周辺の人たちが大勢来ている。
ティンレー氏はお祭りでないと言うが、私の感覚で言えば小さなお祭り。
青いジャケットのフランス人も一人いるが、あとは村人ばかり。
私の田舎の村祭りよりも人が多くてにぎやか。
日本の村祭りみたいに、村の古い世話役が一室に集まり、チャンを飲んだくれている。
そこでいっしょに少しチャンをいただいた。
写真左手前は乾燥した牛糞。民家の庭にもよく積んである便利な固形燃料。
時折5000m級の山に降る雪の、おこぼれのような霧雨はあるが、
これら牛糞をドロドロにするほどの雨量にはならず、嫌な臭いもしない。
固形燃料のさらに左手前では、大釜の御飯にバターと砂糖を混ぜ込んで炊き出しに忙しい。若手の世話役は大変。これも日本の田舎と同じ。
メインの催し、チベット僧の説法ではすこし退屈そうにな人もいたが、
村人のお目当ては説法後に配られる、ミサンガみたいな赤糸のお守りだったみたい。
8日朝8時半
収穫した麦を洗う。
背中の青いジャンパーがティンレー氏。
用水路の流れに目の粗い布をかけ、
麦を入れ、スコップやひしゃくでかき混ぜて、
浮いたごみを布の上、写真では手前の方、外へ流す。
きれいになったら、水流のしもてに立つティンレー氏が持つ、
これまた目の粗い布袋へ麦を流し込む。
洗った麦は画面うしろにあるようにシートの上に置き、
薄く広げて乾燥させる。
前日に山の上に雪が降り、それが朝の日射しで溶け、
水路の水がどんどん濁ってきたので、
作業はこれで中止。
村を流れ、畑を潤す水路は雪解け水で、冷たい。
同じく7日夕方6時半
端に見えるのが、ジープタクシーより安いということでチャーターしてもらった車、
マルチ・スズキ社の「スイフト」。
日本の2代目「スイフト」と同型。
エンジンストールするたびにバッテリーの電極をつなぎ直していた。
かなりくたびれた車だったが、ドライバーはモテ系のお兄さん。
古い一眼レフを持ってきて、一緒に楽しく観光。
子供たちは、たまに通る車には盛んに手を振る。
家の近くにでも止まろうものなら、たかるようにして中をのぞき込む。
全員みごとに、両方の鼻から鼻汁を垂らしている、堂々のザンスカールの男の子。
昭和30年代の私たちの子供時代か、それ以前の日本の子供と同じ。
車が村を離れるときも、みんな必死で手を振りながら車を追いかけてきた。
同じく7日夕方6時半
ザンスカールはラダックの焼酎「アラック(アラ)」が一番おいしい所。
ティンレー氏知人宅の前庭。
大きい釜にはラダックの麦酒「チャン」が入っていて、
それを蒸留している。
黒い服のおばさんが手を突っ込んでいる小さい釜にお湯が入っていて、
湯加減を見ているみたい。
大釜で気化した「チャン」が小さい釜の底で冷やされ、しずくになって、
それがしたたり落ちるのを、
小さな釜の下、大釜の中に入っているもう一つ釜に集める。
それが「アラック(アラ)」
お店で売ってるわけではないので、飲みたいときはローカルルートを探すのみ。
7日夕方6時半
ドゥルンドゥルン氷河からの帰りに。
これまたティンレー氏の知人宅裏の風景。
知人宅ではラダックの焼酎「アラック(アラ)」をつくっていて、
つくりたてをいただいた。
うまい。
画面中央奥には雪を頂いた山。
雪がある山は5000m級。
もっとも平地で3500m以上の標高があるので、
雪のない山でもかなりの標高。
中央左には、太陽光でライトアップされた扇状地先端の村が見える。
川の手前は麦畑。
富士山より標高の高い山でも地図には名前すらなくて、
村の人には「うちの村の裏山」とでもよばれているのかな?
川はもちろん堤防もなく、水は勝手に流れたいところを流れている。
8月7日11時
ティンレー氏の知り合いの車をチャーターして、ドゥルンドゥルン氷河を見物に行く。
ティンレー氏、ドライバー、私の3人で一日ドライブ。
道筋に見かける人みんなにあいさつして手を振りながら。
ザンスカールのたいていの人はティンレー氏の知人みたい。
あちこちで「バター茶を飲んでいけ。」とお誘いがかかる。
この写真のおばあさん、
家まで乗せていってほしいということで、
一時間弱、一緒にドライブ。
隣に乗り込んできた瞬間、ものすごいバター臭が車に充満する。
お風呂も、毎日着替えるのも必要なくて、
なるほどこれがザンスカールの、農村の人のにおいか。
乗せてもらってありがとう、と、私の手を自分の額の所につけて
拝むようにお礼を言う。
顔かたちも表情も、日焼けしている以外はまったく日本人と同じ顔。
「おばあちゃん、いい指輪してるねえ。」とか
「でかい石がいっぱいの、豪華なネックレスやねえ。」とか
「手のひらの皮が、ぶ厚いねえ。」とか
あれこれさわったり指さしたりしながら
通じない言葉で話す。
背景にある川むこうの村がおばあさんの住まい。
青いベストとショルダーバッグ以外はラダックの伝統的な衣装。
独特のブーツと帽子がよくお似合い。
お別れすると、スイスイと坂を下り、谷間の吊り橋へと歩き、
あっというまに小さくなっていった。
6日朝8時半。
散歩してると、グリーンピースを収穫しているお母さんの横で、ヒマそうにしている子供ふたり。こっちをずっと見ているので手を振ると、向こうでも手を振りかえしてくる。写真を撮っていいか?とカメラを構えると、直立不動の姿勢をとる。なんかポーズをとれ、と、「シェー」のポーズをとって見せると、それをまねてポーズをとってくれる。彼女らのポーズをみて、自分の「シェー」のポーズがいかに中途半端なのかを思い知る。
お母さんは一日中、畑にしゃがみ込んで収穫を続ける。
カルシャゴンパからパドゥム方面を撮った写真。
正面に雪を頂く5000m級の山の麓に緑色をしている所が、ザンスカールで一番大きな町、パドゥム。町の中は車が多くほこりっぽい。ほんの数百メートルだけの区間だが。
そして、パドゥムの少しこちら側、川の少し向こう側の緑の所が、
今回泊まったウフティ村、そしてピビティン村。
パドゥムの右手と左手から流れ込む2本の川の合流による、広大な河原。
周辺はいくつもの巨大な扇状地と山。
麦畑が円い形をしているのが、不思議。
なぜ?
5日10時半
ホームステイ(有料)させてもらった農家の客間でゴロゴロしていると、なんだかジャボジャボ音がするので台所をのぞいてみる。
牛乳をかき混ぜているのでしばらく手伝う。
いつの間にか脂肪分をかきあつめて、バターができていた。
残りの白いのから、チーズや、いろいろと作ってる(なにがなにやらわからんかったけど)。
塩を入れていないので、チャパティにバターを、野菜カレーにチーズを添えて、
食べるとさっぱりしていてすごくおいしい。
おいしいおいしいと言ってると、
どんどんバターやチーズをお皿に盛ってくれる。
写真の人は、ホームステイのできる農家として紹介された、ティン・レー氏の奥さん。
奥さんは、まったく英語が通じない。でも、そんなことおかまいなしにチベット語でどんどん話しかけてくれる。さっぱりわからない。「ドンドンドンドン」と言いながらお茶やごはんを入れてくれる。「ドンドン」は、「もっともっと」という意味らしい。朝から晩まで働いている。ときどきチャン(ローカル酒)を飲みながら。
5日朝8時
ピビティン村から、川向こうの放牧地に牛を連れて行く途中のおじいさんと少女。
男性でザンスカールの伝統的な服装をしている人は少ない。
これほどのお年寄りもあまり見かけなかった。
声をかけると気持ちよく撮影に応じてくれる。
恥ずかしがってしまう子供も多い。
ラダックの牛は小さい。子牛を引いているけれど、大型犬の散歩にも見えてしまうほど。
人の写真を撮るのが苦手で、あまり撮っていない。
少ないながら、どこの誰、とわかる写真は、レーで現像し、ヤンペル氏経由で
その人の手元に届くよう頼んでおいた。
ウフティ村、ピビティン村あたりの住人、ティン・レー氏の知人のところあたりまでは届くはず。
同じく3日朝
典型的な扇状地。谷川に押し流された土砂が扇を広げた形に堆積した地形。
扇状地など日本でも珍しくない。私の家も扇状地に建っているが、たくさんの家と畑と路とで扇状地とはわからない。
でも、ここは地形が大きく、むき出しで、ものすごく分かりやすい。
扇状地の奥に、雪を頂いた山があると、水が安定して流れてくるせいか、そこには数軒の集落がある。集落の近くには、必ず橋が架かっている。川を渡ってバス路に来ることができなければ、川と山にはさまれた一つの扇状地だけが世界のすべて、となってしまう。
結局2日はカルギルを明るいうちに出たはいいが、ランドゥムゴンパまで到着できず、途中の村で一泊。
他の乗客は外でシュラフにくるまったり、近くの小屋の椅子やバスの中で仮眠。ゲストハウスに行きたいのなら、と3分ほど歩いて連れられていったのはただの農家。ただの農家に泊まってみたかったのでそれはそれでよかったが、辺りが真っ暗な早朝、一人でバスに戻ることができず。農家の子供をたたき起こして案内してもらう。すまねぇ。
3日
夜明けのドゥルンドゥルン氷河。もやでかすんで見える。
ひどいカーブの凸凹路を走るバスからでも、けっこう写真は撮れる。
同じく8月2日。
前席の子供を暇つぶしに相手する。
口に人差し指をつっこんで、引き抜きざまにポコンと音を立てて見せると
おもしろがって何回でも「もう一回やれ」とくいついてくる。
はてしなくせがむので、途中から目を合わせないようにする。
彼女の住まいは4枚目の写真にあるような、扇状地にある集落の一軒。
家族と、レーからの大量の買い出し荷物とともに、バスから降りていった。
そうか、この子も、
近代から半ば隔絶された村に住んでいるのか。
7月30日(土)関空10:05 キングフィッシャー便 香港経由 デリー空港 21:45
31日 デリー空港 8:45 → レー 10:05
31日と8月1日は高地順応とバス手配のため、レーに滞在
8月2日早朝というか深夜2時半、レーのニューバススタンド近くからザンスカール(パドゥム)行きバスに乗る。パドゥムまで1泊2日、600ルピー。バスチケット手配をしてもらったヤンペル氏に、ゲストハウスから発車時まで付き添ってもらう。バス乗り場にもちろん案内板はなく、もちろんバスは30分以上遅れて登場。レー名物の野犬が走り回り、とても一人でバスに乗りに来ることはできなかったと思い知る。
写真は2日
夜が明けた7時ごろ、バスの中から撮影。山の色が異様。この色合いは、レーに戻るまでによく見かけた。青緑っぽい色や赤っぽい色は岩石そのものの色。



















