第五章 街路雑記
ヒマな牛 口すら動かしてないんじゃ?
牧場の牛ってずっと食べてたり反芻してたりするイメージがある。だけど街中にいる牛は、ただつっ立ってる。なんもしてない。渋滞した道路で行き場を失い、中央分離帯と化してしまった牛もいる。野良牛はなに食ってるんや? 悪臭を放つゴミ集積場をかき回している牛、雑貨店の前で店の主人が置いた一つかみの飼料を食べてる牛、たまに食べているところも見たけど、それだけじゃ足らんやろ。どうやって食いつないでるんやろ?
リクシャー 不当にたくさん払うのもよくないかな、と
ベルも鳴らすが、「Hello!!」とか「オーオー○×△◇……」とか、しきりに前や横に声をかけて、走るコースを確保していた。車と人と動物の洪水の中をかき分け(実際に車両の流れを手でかき分けたりする)、二〇分もグイグイ重いペダルを踏んで、せいぜいが三〇ルピー。日本円に換算してしまうと七五円程度というのは悲しいくらいに安い。実際に乗るときには、二〇ルピーと値段交渉したところが、五分くらいで目的地についてしまって「くそっ!」と思ったり、五ルピーの釣り銭を渋る相手に「うそつくな! 釣り銭渡せ!」と、大声でまくしたてたりしたけれど。
警官 所属する階層によっては恐ろしい人
五ルピーの釣り銭がないふりをするリクシャー相手に、観光客だからといってなめられるのはよくないと思ったし、英語で「うそつくな! 釣り銭渡せ!」と大きな声を出した。英語でわめく体験は初めてだったし、インド人がよくやってるみたいにちょっとけんかごしに大声でやりとりしてみたかったので、どっちかというと半分遊び気分だった。五ルピー取りもどせるかなんてどうでもよかった。たまたまそのとき、警官が通りかかった。外人の大声にちょっと様子を見るつもりだったのか、すぐ横に立ち止まって、黙ってこちらの様子を眺めている。それに気づいたリクシャー夫は、すごく警官の視線を意識し始め、すんなり五ルピーをこちらに渡した。たかが五ルピーのこと。それも、乗る前の値段交渉の様子を警官が知っているはずもないのに、向こうの方が急に弱気になった。
どうも、リクシャー夫たちにとって、警官はかなり怖い存在なのかもしれない。それまでにも、どちらかというと貧しい階層に属すると思われる男に、長い棒きれを振り回すそぶりを見せていた警官を二度ほど見ていた。そのうちの一度は、警官が棒を片手に持って、男を物陰に連れ込んでいた。日本では、警官が警棒を振り回すのはよほどのときでないと認められないだろうに。
ゴミ 空から降ってきた
キャンディーを食べればその包み紙はすぐそこにポイ。バザールでは店の中を掃除したそのゴミを、外へ掃き出しているのを見かけた。バナラシでは一度、四階建てくらいの窓から小路のゴミ集積所らしきところへめがけて、バシャーッと生ゴミらしき質感のゴミ袋が落下してきたこともあった。とにかく街中はゴミだらけ。道路を掃くことや、ゴミ集積所の処理を専門にしている階層らしき人もいたが、全然まにあっていない。デリーの旧市街でもバナラシのガート周辺でも、牛の糞がボタボタ。とにかく聞いていたとおり、インドの道は汚い、臭い。あんまりたくさんの国に行ったわけじゃないが、インドはすごい。牛糞なんて、畑や原野になら、いっぱい落ちていてもとりたてて汚いとは思わないけれど、石畳やコンクリートの上に放置されていると、かなり汚いと思ってしまう。
原野ではないのだから 履物が普通の中で、はだしでいることの異様
大半の人はなんらかの履物をはいていたが、たぶん貧しい階層の人なのだろうか、はだしで生活をしている人たちがいた。大人も子どもも、履物を履いた人と同じ道を平気で歩いている。広々とした原野や大地をではなく、アスファルトの道路を、雨のあとの水たまりを、ゴミや牛の糞だらけの石畳を踏みしめて。ちょっとした小石の角でケガをしないんだろうか、鋭利なゴミのかけらを踏みつけたりしないんだろうか。そうしたらたちまち破傷風にでもなってしまいそうな道を、彼らは普通に歩いていた。都市生活者がはだし、というのはほかの国で多く見られることなのだろうか。
逆外反母趾 足の親指と靴
子どものころからはだしで暮らしていたら、そうなるのだろうか、彼らの足の親指は少し外を向いていたように思う。親指と人差し指との間に少し空間ができていた。地面をしっかりつかむためにああいう形をしているのかな。江戸時代まで、一年中、冬でもワラジやゾウリで暮らしていた日本人の足もあんな形だったのかな。靴で暮らすようになって、僕たちの親指は靴の形に合うように内側を向くようになったのだろうか。だとしたら、靴を履いて暮らしている僕たち日本人は全員、多かれ少なかれ外反母趾だ。
トイレ事情 まあ、なにぶん自然現象というものの
街中でも、男はとにかく立ちションベン。普通に立ちションベン。日本と違い、しゃがみスタイルの立ちションもある。でも、やっぱ、田舎の山や畑でならいいけど、街中でそんだけションベンジャンジャンしたらあかんやろー。
日本でも、僕たちが小さな子どものころは、ゴミはいつもポイ捨て。大人もけっこうポイポイ。男の子の立ちションは当たり前。遊びの中の一つに友達とオシッコすることがあったくらい。幼ければ女の子だって外で普通にしてた。大人の男もけっこうところかまわず立ちションしてた。でも、インド、僕の知ってる昔の日本ともケタが違うぞ、って感じ。
市街地、観光地以外は歩いてないのだが、ガイドブックにあった通り、インドでは大も小もけっこうお外で。バナラシへの列車の窓から見えた風景だけれど、デリー旧市街を抜けたあたりの河原にバラックが立ち並び、鉄道沿いの草っぱらに、用事がある風でもなくぼけっとした感じで突っ立ったりしゃがんだりしている人多数。江戸時代より前の日本や、中世ヨーロッパでも、トイレはなくてお外で、そんなんだったみたいだ。
カノジョ おじさんも客引きにはもてもてですがねえ
なにかにつけ言い寄ってくるインド人が、それぞれあんまり日本語が上手なので、どうやって日本語を勉強したんだ、とつい聞いてしまった。みんな判で押したように「日本人のカノジョに教えてもらった」と言う。これはインドだけでなくアジアに旅行するとよく聞く。「最近はあんまり連絡ないけど」という言葉もおまけに付いてくることが多い。うーん、それってどういうことなんだ……?
制服 みんな賢そう
六月の夏至を迎えた後に盛夏のやってくる日本。それとは逆に、インドでは四月から五月が酷暑期。八月のインドは、夏休みではなかった。日本なら小学生から高校生くらいの、制服姿をよく見た。通学中の子どもたちはみんな、きちんと散髪をして、さっぱり清潔に洗濯された制服を、涼しげに着ていた。着崩した制服の着方を見かけなかった。普段着の子どもの服装からは、それぞれの家庭の貧富の差がよく見えたが、制服からはそれが見えなかった。なぜだろう。
Grover氏が車中、ニコニコしてこちらを向いて言っていた。日本の先生はムチを持ってないの? と。インドの先生はみんな持ってる、と。
まだ、インドの人にとって、学校は聖域なのか。
日本じゃ、中高生は学校の制服は着崩すのがかっこいいと思っていて、そのくせ就職したとたん、真夏でもきちんと上着にネクタイで汗だくだったりする。どうせ着崩すんなら、企業マンになってもかっこよく着崩して見せるくらいの意気を持って欲しいもんだ。
バナナ・リンゴ 道ばたのワゴンで購入
とにかくバナナはうまかった。リンゴもたくさん売ってたが、これは日本の方がうまい。
土地の人に見られてみたい
〈現地調達がかっこよさそうだけど〉
旅行の途中で見かける長期滞在者やバックパッカーは、現地で買った衣料を身につけている人も多い。その理由にはいくつかありそうだ。旅行に出るときの荷物を減らす。日本の物価を考えれば旅先で買う方がたいがい安い。現地の人と同じ服を、地元で買って、現地の気候と風土を味わう。日本に帰っても使えるし、自分へのお土産、記念にもなる。その土地の経済・産業事情をうかがうこともできる。
でも、僕はインドでは、結局土地の人とは全然違うかっこうで歩いていた。
〈一人旅行でできないこと〉
旅、旅行というものは、ただ観光スポットを見て回るだけのものではだめだ、とまじめくさって考えている。というかまあ、だいたいが一人で旅行してると、観光スポットチェックばっかりやってると寂しくなってしまうだけのことなんだけど。親しい者同士で名所を巡って、お土産買って、そのときそのときの感想を交換する、という楽しみ方はできない。土地のおいしい料理を何種類も並べてつつきあう、というのも不可能。旅行を終えて家に帰ってから、旅行した仲間と思い出話をする、というようなことはありえない。そんなんだから。
それで、同じ旅行に行くなら、現地の人っぽいかっこうで歩いてみて、その土地にどっぷり浸りたい、みたいな妙な気負いや願望がある。でも、実際には今回の一〇日間が過去最長という短期旅行者は、なかなかそうはいかない。うまくいっても、普通っぽい店で売ってる衣料品を一つか二つ、旅行用に買い足し、あとはウインドーショッピング程度。でもまあ、これはこれで楽しい。
〈ユーロ・アジア、人種のグラデーション〉
日本の大きな駅や観光地で、普通の日本人観光客だと思っていたグループが、不意に中国語や韓国語を話し出すのを聞いて軽い驚きを覚えることがある。東アジアの人間は、顔の造作が似ているばかりか、服装も流行を共有していて、そのスタイルからは、意外に区別がつかない。台北の地下鉄ホームをTシャツで歩いていると、何度か地元の人にまちがえられ、道をたずねられた。それが、タイまで行くとけっこう目鼻立ちや顔色が違う。中国系が入っているせいか、全然見分けのつかない人もいるけれど。マレーシアに行くと中国系の他にインド系住民も混じっている。そしてさすがにインドにまで来てしまうと、もう肌の色も顔立ちも日本人とは全然違う。みんな彫りが深くて、こんがりつやのいい茶色の肌の人ばかり。
こんなふうにしてユーラシア大陸を見渡してみると、極東からだんだんに西の方に行って、東アジア系→東南アジア系→インド系→中東系→ヨーロッパ系と、少しずつ近隣の人種が混じり合いながらも人種のグラデーションができあがってるんだろうなあ。今度旅行するとしたら、中東とヨーロッパの混じり合うあたりがいいかなあ。ヨーロッパとアフリカ大陸は、ほぼ接したところにあるのに、肌の色がそこで急に変わってるみたいなのはなんでだろう。なんて想像してみる。
〈インドじゃ東アジア系の顔はどうしようもなく目立ってしまう〉
インドに着いてしばらくは、まだ東アジアから東南アジア系の顔しか見慣れていなかったからか、道ばたに座って談笑している白髪やごま塩頭の老人の顔が、みんな、あの写真で見たマハトマ・ガンジーに見えてしかたなかった。
とにかくどうにも、東アジア系の顔は目立ってしまう。チャイニーズ? コリアン? ジャパニー? あいさつ代わりに聞かれる。列車の外、宿の外、マクドナルドや映画館の外、一歩外と名の付くところに出れば、たちまちしつこい店員、運転手、物乞いのターゲットになり続ける。
〈服装でも目立ってしまう〉
通りを歩いているインド人を見ると、日本、台湾やタイの街中でよく見た、ポロシャツやTシャツに短パンというカジュアルな装いを、していない。女性はサリー姿をよく見、男の場合はきちんと襟の付いたシャツに長ズボンというのが多い。もちろんパリッと清潔な物を着ている人から、貧しくすり切れたヨレヨレの服の人までいろいろだけど。でも、しっかり襟の付いた物や長ズボンを、着ようとは思えなかった。まず、暑いし、荷物がかさばる。
〈デイバッグパッカー、完成〉
今回の旅行では、かなり荷物を小さくできた。V首長袖シャツ一枚、七分丈でペラペラの短パン二本、ヨレヨレの半袖ポロシャツ一枚、Tシャツ二枚、帽子用にバンダナひとつ、トランクス三枚、日本手ぬぐい三本(うち二本は手みやげ用)、旅行用洗面具、ポケットカッパ、文庫本二冊、ガイドブック、物干しロープ、ティッシュ、安物の電子英語辞書、LEDポケットライト、携帯電子蚊取り、空気枕、航空券、お金、パスポート。以上、身につけている服装も含めて全部でそれだけ。ワンショルダーの小さめデイバッグと大きめヒップバッグに入れてまだ余裕があった。全部の荷物を持っても、重みを感じるのは三冊ある本だけ。これをヒップバッグに入れておくと、ほとんど肩には重みをかけなくてすむ。
長期旅行者は大きな荷物を持っていても、宿に荷物を置いて、手ぶらで何日も町歩きを楽しめる。ツアー客なら荷物を預かってもらって行動できる。でも、一人で短期旅行となると、移動と買い物と観光を兼ねて歩き回ることも、立派な旅程の一つになってしまう。
荷物を全部持ってもブラブラ歩きができるくらい、荷物を軽くできた、という達成感にちょっと満足する。
こうなると、現地風に襟付シャツに長ズボンというスタイルにはとてもなれない。
〈サンダルも〉
サンダルも、バザールでチープなゴムゾウリを調達して、というふうにやってみたいけど、既に履いて来ている物の上に買い足しても、荷物を増やしてしまうだけだ。だいたいがあのゴムゾウリ、軽くてお手軽で僕たちが子どものころにはみんなよく履いていた。あれは、硬くてとがった物は簡単に刺さってしまうし、濡れた鉄板の上なんか恐ろしいほどよく滑ってくれる。もうすっかりいいおっさんになってしまったせいか、質が悪かったり足に合わなかったりする履物を履いていると、一時間もたたないうちに足もとから全身に疲れが巡ってしまうので、どうしても履物も、現地風、というわけにはいかない。
ということで、足もとには、Tevaのサンダルを履いている。家を出てバスに乗り、関西空港に向かう時からこれだ。丈夫だし疲れないし、水の中もいいしバッグに入れたりぶら下げたりしてもあまりかさばらない。これを履いてるだけでも、また、声をかけられる。「グッドサンダル!」とニコニコ話しかけられて、ガイドさせろのなんのと食い下がられる。
ガイドブックにはよく小物や服は「現地調達で」が合理的で、また楽しいと書いてある。なかなかその言葉は魅惑的だ。でもその誘惑には、小袋入りの洗濯用粉石鹸と、なくなってしまっていたチューブ入り歯みがきを買うことでささやかに満たされることにする。
〈結局〉
だから、もう今回の旅行では、キョロキョロいかにももの珍しくあたりを見回している東アジア系丸出しの顔と、カジュアルな服装とサンダルで、まったく、俺は観光客で金使います、って看板を背負って歩いてる気分だった。もう、寄ってくる寄ってくる、客引きが。もう、頼むから放っといてくれよおー。
一見してすぐに観光客だというのが分かると、便利なこともある。食堂で、何をどうやって食べていいものやら分からなくてウロウロしていると、向こうがそれと察して、あれこれと適当にあしらってくれる。客あしらいが上手な店だとずいぶん助かる。しかしどうにもインドではデメリットばかりだった。