第三章 デリー→ジャイプール→アグラ→デリー 三日間観光
★ジャイプールへ
グローバ(Grover)氏 面倒見の良い人
現地ツアーのガイド兼ドライバー氏、五五歳。シーク教徒。ターバンを巻いているのはシーク教徒のしるし。元、ムンバイのタクシードライバー。ツアー客相手のドライバーとしては三年目。
「私の仕事はお客さんに安全に、ハッピーに、旅行してもらうこと。それが私のデューティーだ」
と、ことあるごとに言う。懇切丁寧に明るくガイドし、なにかにつけブンブン寄り集まってくる客引きについて、とにかく返事するな、無視しろと、注意を与えてくれる。自負と誇りを持って仕事してはりました。ただ、彼の英語のインド訛りが強かったー。「r」を「ル」と巻き舌で発音する。「マザー(mother)」はマザール、大理石「マーブル(marble)」はマルブルだ。逆にこちらがきちんと発音しなくちゃと思って「マーブル」と言っても、通じない。ごく簡単な会話がときどき通じてなかった。でも彼は、困ったときは何度も、できるだけ単純なフレーズに言い直す努力をしてくれた。最初にインド人の英語に接したのが彼だったので、これから先の英語に苦労するだろうと思ったが、実は彼の訛りが一番激しかった。
幹線道路 デリーから、ロングドライブに出発
市街地を抜けると、枝ぶりの良い、高さ三〇メートルはありそうな立派な街路樹が延々と続いている。この木の葉は薬にも使われるものだ、とGrover氏。大きな木陰には、家畜を休ませる農民や、ひと休み中のバスの乗客たちの姿も見かける。この木を植えた人はなかなかすばらしい仕事をしたと思わないではいられない。一定の距離ごとの路肩に、ドライバー休憩用の飲食店街、トラック修理屋街がある。大きな修理屋街は一キロほども続き、TATA製の長距離トラックがずらりと並んでいた。この様子を見ると、ほとんどのトラックがなんらかのトラブルを抱えながら走っているとしか思えない。
高速道路 ところによりときどき農道
有料の高速道路なのに、トラクターが、ローカルカーが、通っている。人が横切る。高速道路なのに。Grover氏によると、沿道の農民の通行料はただ。そもそも畑からそのまま高速道路に入り込んできている感じ。彼らにとっては高速道路も農道みたいなものなのか?
ほかの幹線道路と同じように、一定の距離ごとに、ドライバー休憩用の飲食店街、トラック修理屋街がある。店といっても、バラックで、小さいのは畳一畳ほどの建物から。土ぼこりとゴミが散らかった、だだっ広い路肩に軒を連ねている。日本の高速道路のようにいったん本線を離れ減速車線を通ってサービスエリアへ、なんてことは、ない。
ピンクシティー・風の宮殿 ジャイプール観光①
ジャイプールは人口四〇〇万人。アグラも同じだったが、街は都会の姿をしていない。巨大都市ともいえる人口が、ピンと来ない。都市というのは、背の高いビル群が、深い水槽のように、大量の人や施設を飲み込んでいるものと思っていた。それがここでは、水槽に集積されることなく、平らな地面にぶちまけられたようになっていて、あちらこちらから人や車があふれ出してきている。
ピンクシティーと呼ばれる旧市街に入る。確かにピンクと言えなくもない、赤い砂岩で造られた町並。新築らしき建物はまったく見られない。車に乗せられて通りを走り抜けていると、あちこちの建物は修繕の最中だ。修繕に修繕を重ねている軒並が、むしろ街の生気を生み出している。まるで西部劇に出てくる街のような、時代劇の宿場のような古い町並が、そのまま二〇〇年後の今に、現役で熱気を放っている。
旧市街の中、Grover氏が運転しながら、「あれがウィンド○※□▼◇‰だ」と指さす。車窓から見ると、まさしく、あのよくインド旅行のパンフレットで見る、「風の宮殿」だ。日本語で覚えている建物の名前を、いきなり英語で言われるので、それが何のことなのか分かるまでに時間がかかる。まわりの建物と、同じ赤い砂岩の色でつながっている。あー、確かにきれいきれい、と思っていると、そのまま前を通り抜けて、おしまい。あれ、止まらないのか。あんまりゆっくり見るほどのこともないってこと? まあ、ええかあ。また、ここに来ることがあったら、そのときにはゆっくり見学しよう。
せいぜい一年に一度旅行できればいい方なので、海外で繰り返し同じところに行ったことはないくせに、そんなふうにいいかげんに考えるのが得意だ。
ジャンタルマンタル ホテル泊。翌朝、ジャイプール観光②
朝一番に入場。まだお目覚め前の、ジャンボな遊具がいっぱいある遊園地、といった風景。巨大な天体観測儀が、十数基設置されている。小さいのでも、十分大人がかくれんぼできるくらい。大きいのは七階建ビルの高さくらいある。こんなにでかいと、かえって、土台が一ミリもズレればひどい誤差がでるだろうに。観測技術以前に、建築技術の精度に驚く必要があるかな。
観測儀には、変わった形の目盛や階段がついているもの、滑り台代わりになりそうなドーム型のすり鉢になっているものと、いろいろある。これらを小さな子どもが見たら、おもしろそうな遊具が並んでいるとしか思わないだろうな。一番高いのに昇ってみる。幸い、金網が張ってあって立入禁止、なんて無粋なことはない。北極星に向かって一直線に階段がのびているとかで、てっぺんでぷつんと切れている。まっすぐに昇っていく。天国への階段気分。おおー、高い高い。
引き返して降りてくると、警備員が、写真を撮ってたろうと疑い、近寄ってきた。入場料を取る名所は、どこも入り口でカメラ、ビデオカメラの持ち込み料を追加される。ヒップバッグをつけて高いところに上ってたもんで、怪しんだらしい。カメラみたいなもん、持っとりゃせんわい。バッグの中身を見せてやろうと身がまえたのに、警備員はそこまでしなかった。
シティパレスの武器展示室 ジャイプール観光③
実際に戦闘に使用するために工夫された、さまざまな武器が展示されていた。ピストルもライフルもそれなりの発達を見せているが、それらにサーベルや斧も混じえた集団戦をしていた時代らしい武器の数々。コンピュータゲームデザイナーが、武器アイテムデザインのネタ集めするのにぴったりの展示室だった。握力計の、目盛の部分の代わりに△形の両刃ナイフをくっつけたような、タンガ(?)という名前の武器。△形の刃の代わりに、ハサミが付いているものも。普通ハサミは刃が内側に向けて付けてあるが、それは逆に外側に付けてある。ブスッと刺して、握力計のレバーにあたる部分をグイと握って、相手の体の中で刃を広げて傷を大きくするんだとか。△形の刃の両側にピストルが仕込まれているのもあった。鎖かたびらや兜割りなども。お金持ちが作らせた、エメラルドやサファイアで象嵌されたサーベルもあったが、鉄むきだしの、なんとか相手を打ち倒すための、なんとか自分の身を守ろうとするための切実な工夫を感じさせる実用の武器も多く展示されていた。
アンベールパレス ジャイプール観光④ 今回一番の風景
ジャイプールを支配するマハラジャが、街への侵攻に対抗するため、街を囲む山の尾根づたいに城と城壁を築いた。城壁は万里の長城のように、はるか向こうまで、続いていた。城も美しかったが、延々と伸びる城壁の壮大さに驚いた。もしこの風景を写真に撮るなら、映像のひずまない魚眼レンズが必要だ。そんなものありえないが。ともかく、三六〇度展開されている風景を鶏の頭よろしくキョロキョロ見回して、自分の脳の中に、広がるパノラマを描いてみた。
水の宮殿(レイクパレス) ジャイプール観光㈭ おまけで、ちょっと寄っただけですが
Grover氏が、湖のかたわらに車を止める。レイクパレスとかなんとか言っている。なんとかいうマハラジャが造ったんだとか。湖から全部造ったと。そりゃ大変な資金力と技術力だ。マハラジャって、ただものじゃない。
交差点でバク転する少年 ジャイプールからアグラへの途中で
インドに限らずだが、物乞いをする代わりに、信号待ちをしている車のフロントガラスをふいて回って、お金をくれと手を出してくる子どもたちがいる。そんな子どもたちの中に、ひたすらバク転を繰り返す一人の少年がいた。止まっている車の横でバク転をして見せて、お金が欲しいと手を出してくる。信号が変わると車は容赦なくどんどん子どもたちのまわりを走り抜けて行く。インドで信号のあるようなところは、ひどく交通量の多いところだけだ。目の前で事故が起こらないかとヒヤヒヤする。そのうえ、ほとんどの車はお金を渡したりしていない。ひどく割に合わない仕事だ。
★アグラへ
熊とクジャク 車窓から
ジャイプール→アグラ間の幹線道路脇で、熊に綱をつけてたたずんでいる人を見た。マレー熊かな? 熊というのは、飼っていても完全には人に慣れないらしいけど。動物の種類や習性について、英語で話すのは至難なのでそのことについては聞かない。インド北部にはいないので、観光客相手に芸をさせるために連れてきているらしい。危険で良くないとのこと。
一度だけ、車の前を、なんだかやたら尻尾の長い影がふわっと、目の前を横切った。見事なクジャクだった。尾羽が立派に成長したクジャクが前を横切るのは、ハッピーの前兆だとGrover氏が言う。日本では黒猫が横切ると良いことがあるとか悪いことがあるとか言われているよ、と教えると、何で黒猫がハッピーなんだ、と驚いている。そりゃまあ、クジャクの方がハッピーだよなあ。
ラッシー 助手席で待っていると、どこからか買ってきてくれました
Grover氏おすすめの、アグラ市内の店のラッシー。使い捨て陶器に入っていて、木の葉を乾燥成形したふたが付く。見たところ、個々の陶器の中で発酵させてつくっているようだ。まずはその適度な甘さの液体部分を飲んで、あいまには陶器に白く薄くチーズのようにくっついて、水に溶けきっていない部分も、木のスプーンですくって食べる。その土地の上手な職人の、丁寧な手づくりはうまい。飲んだ後の陶器とふたとスプーンはもちろん、道にポイ。
酒、酒、酒持ってこーい アグラで、酔っぱらいたいわけではなく
インドの酒を飲みたかった。ツアー中、Grover氏に連れられて入ったレストランは、日本で言えば、ちょっとましなファミレスチェーン店といったところ。そこでインドのビールを注文した。おいしかったので二本目を注文したが、なかなかこなかった。どうも店員がわざわざ外に買いに行くので時間がかかるらしい。結局二本目を待ちきれず店を出た。アルコール類は店においても商売にならないのか。
Grover氏はシーク教徒なので、飲酒はオーケー。いつもウイスキーを飲んでいるらしい。インドのウイスキーを飲みたいとは思わない。ローカル酒を飲みたいと言うと、あまりおいしくないよ、といい顔をしない。どうやらボスに、客に酒を飲ませないように言われているらしい。若い日本女性で、酒を飲ませてベロンベロンになって大変だった、ローカル酒はおいしくないからやめろ、と、困り顔で言いたてる。なんとか説きふせて、小さなビン入りのを買って来てもらい、ホテルの部屋で飲んでみる。とびっきり安物のウォッカのような味で、一口飲んだ後はもう口を付ける気がしなかった。
日本ではいつも秋祭りのとき、自家製の甘酒をおいしくいただく。長く発酵させすぎて、苦みが出てくるころが一番おいしい。米の姿の残る甘酒のうまさ、原材料のうまみをそのまま残した風味の、生の日本酒が、お酒の中で一番うまいと思う。地元の蔵元から出荷されたのを上手に探せば、あまり高くなくてもかなりいい味に出会える。だからそんな、原材料の風味が感じられるような、造りたての、インドらしい酒を飲みたかった。でも、酒についてのこんなこだわりをGrover氏に伝えるほどの英語力はないので、ひたすら酒、酒、アルコールドリンク、の連呼になってしまい、彼を困らせたようだ。
ラッシーはおいしいのにありつけたけれど、いい地酒に出会うには、かなり地域の酒事情に詳しい人が必要だろう。そもそも、ヒンズーやムスリムの国で期待するのは難しそうだ。
役立たずのエアコン ホテルの停電対策
デリーでは大丈夫だったが、ジャイプール、アグラ、バナラシではやたら停電した。だいたいいつも定時に停電するらしい。一日の半分とはいかないまでも、三分の一くらいは停電してた感じだ。ホテルでは
カットポイントガイドの男 ホテル泊後、タージマハルの日の出めざして出発
観光客のいるところには、どこにもガイドらしき人がいる。制服を着ていて公認なのがはっきり分かる人から、私服だが首からガイドパスらしきものをぶら下げている人、明らかに勝手にガイドをしている人までいろいろ。公認のガイドでも、案内をしてもらえばガイド料を要求される。
タージマハルに行ったとき、服がすっかりくたびれ、色がくすんでしまっている青年が、声をかけてきた。けっこう貧しい階層の青年に見える。とりあえずあまり面白くもなさそうな顔をして、勝手にしゃべらせておいたところ、僕がそこを通り過ぎて全然気づいてなかったものを教えてくれた。タージマハルの建物横の白い敷石に、黒い敷石のモザイクで、タージマハル中央ドームの尖端が描かれていた。実物大なのだと言う。大きなモザイクなので、上を歩いてもそれと分からなかったようだ。ちょっとうれしかったので、一〇ルピー渡してやった。でも、あとの彼のガイドは、「ここから見るタージマハルはきれいだ。ここでしゃがんであっちを見ろ」と、要するに、写真のカットとしてベストなポイントを一〇カ所ほど連れ回るだけのものだった。オレはカメラは持ってないから写真は撮らないんだと言っても、でも、見ろ、と懸命に教えてくる。彼の職業は、タージマハル右横の門からの、写真のカットポイント専門ガイドのようだった。おみやげに、タージマハルの大理石のかけらだといって、そこらへんで拾ったプラスチックゴミを大事そうに両手に包んでプレゼントしてくれた。あまりにも子どもじみたウソだったが、ありがたくもらっておいた。
自分一人では分からなかったことを教えてもらうために、ちょっとのお金で上手に、勝手にガイドしてくる人を利用できれば、いいかもしれない。
寺 幹線沿いの奇観
ジャイプル→アグラ→デリー間、平原にぽつりぽつりとある、丸っこく小さな山の頂上には、ことごとく城のような砦のようなものが建っている。Grover氏に聞いてみると、みんなヒンズーの寺院らしい。なんで山のてっぺんに建てるんだろう。日本ではお寺はあんなところには建てない。山際にはよく建てられているが、頂上になんてありえない、とGrover氏に言おうとしたが、どうも言葉が通じず、彼は全然違うことを懸命に説明しだした。
記帳用ノート㈰ Grover氏の場合 温厚な人柄の証明
道中、ドライバーは五〇代半ばのおっさん。お客も四〇代半ばのおっさん。両者立場は違えど、かさの高いおっさんペアで三日間ドライブを続けている。長いドライブの途中、ガイドすべきところ以外は、ただただ走っているだけ。四〇代半ばのおっさん客の英語はたどたどしく、何か具体的な用件以外のことを話すほどの力はない。お互いに家族の話をしたりしても、それもまもなく終わってしまう。英語は、いったん気合いを入れてからでないと出てこない。ときどき気力を奮って思いついたことを話してみても、会話は途中から意味が分からなくなり、うやむやになってしまう。まあええか、と、客は適当にあきらめるのが得意で、いいかげんなところで分かったような顔をして話が終わる。自然と車内は沈黙がちになる。特に話すことがなくなると、客は機嫌が悪いわけでもないのに、つい仏頂面になってしまい、外ばかり眺めている。そんなとき、Grover氏は故郷ムンバイの民謡を歌い出し、ハンドルから手を放すや、楽しそうに手拍子をとったり、手踊りを始めたりする。客は、どうにも踊りというのが苦手で調子を合わせきれず、愛想笑いが苦笑いになってしまっている。アグラからデリーへの帰路、どうにもこの客をあしらいかねたGrover氏は、前のトラックへ追い越しのタイミングを見はからいながら、これまでのツアー客に書かせた記帳用ノートを、読んでくれと渡してくる。
日本語もあれば、英語、ドイツ語と、いろいろある。パラパラめくっていると運転席から、日本語のは私は読めないので、なにか悪いことも書いてあるかもしれないけれど、英語に訳して聞かせてくれと言う。客は訳すのにやたら手間どるが、どうせ単調な道が続くばかり。時間はあり余っている。
脱水機のようにボキャブラリーをフル回転させて、無理矢理英語を絞り出すのがかえっておもしろい。ときどき、持ってきた薄っぺらな電子辞書を使う。発音して通じなければ、そのままそれを見せる。外で行動しているときにはこんなヒマなことはしないが、けっこう車内では利用価値がある。ひと通り全部振り絞ってみるが、悪口はひとつもなく、あるのは旅行の苦労や喜びと、Grover氏への感謝の言葉ばかりだった。Grover氏にとってこのノートは、ガイドとしての誇りと思い出の詰まった、大切なアルバムのようだった。
日本手ぬぐい デリーに帰り着くころに
今までいつも旅行に出ると、なにかとかさばるタオルが気に入らなかった。体を洗うためには石鹸が小さくなっていくのが分かるくらいこすり付けないと泡立たない。ホテルにおいてある小さな石鹸を使おうものなら大仕事。体をこすった後すすぐのにも大量のお湯が必要。今回、ふと思いついて手ぬぐいを持って行った。そんなにたくさんの石鹸はいらない。すすぐのも簡単。昼間ハンカチ代わりに使って、体を洗うついでに手ぬぐい自体も洗えてしまう。乾きやすい。お別れに、なにかあんたも記念の品をくれと言うGrover氏にも、「Japanese
traditional towelだ!」とか言って、手ぬぐいををねじり鉢巻きにして見せてから、一本プレゼントした。