御綸旨
承平五年(935年)11月9日 朱雀天皇より賜った
と云われている御綸旨である、
 西は轆轤の立つほど、東は蹄道ほどと、
全国の器材を求めて歩いている。
豊臣秀吉の五奉行 増田右衛門長盛の発行した
御免許状で、天正15年11月15日 ろくろを保護する
ため 出したもので 
秀吉の免許状と云われています。
 織田信長の免許状
戦国時代は千草、八風、治田峠が
非常な賑わいを見せ、八幡城主金吾秀秋は
三千騎で此処を伊勢へ抜けている、
 此の免許状は丹羽五郎左衛門長秀の発行
したもので、信長の免許状と云われている。
 天正11年6月は信長は既に死亡しているが
秀吉が関白となったのは12年であるから
信長の免許状と云われています。