徳川八代将軍 吉宗公
幼名 源六、 その後 新之助 と改める。
紀州に居られた幼少の頃 和歌山城より
現在の我が尾崎家に、お越しの お知らせ
尾崎治左衛門様 木村彦左衛門
田中清右衛門
新之助様明日 天気次第其元へ 成らせらるべくとの
御事に候 左様御心得 なさるべく候 以上
八月弐拾九日
尚々 其処もとの村中に はやり煩い その外 差し障り
等 無き哉 御報にお聞かせ 成さるべき候 以上
同じく下記の手紙も 同様 お越しのお知らせ
以切紙令 啓達 候、然ハ
明日 天気 能 候ハハ、
源六様 弥 其元ヘ
可被為成 との 御事候間、左様 御心得可在候、
夫ニ付 何ニても 御馳走 申上かましき儀、
無用ニ候、無論掃除等も御入念ニ及不申候、
右之段申遺候様と
木村兵右衛門殿申ニ付、如此候、 以上
三月十四日
尚々お供中へ
何ニても御無用ニ候、左様御心得可被成候、以上
近藤金次郎
尾崎治右衛門殿
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切紙を以って啓達せしめ候、(手紙で申し上げます) 然らば明日天気能(良く)候はば 源六様(八代将軍徳川吉宗公幼名)いよいよ其元(そこもと)へ 成させられるべくとの御事候間、左様御心得あるべく候、それに付 何れにても、御馳走申し上かましき儀、無用に候、 無論掃除等も御入念に及び申さず候、 右の段申しつかわし候様と、 木村兵右衛門殿御申しに付此の如くに候、以上 三月十四日 なおなおお供中へ 何れにても御出し候儀、御無用に候 左様御心得、成されるべく候 以上 近藤金次郎 尾崎治左衛門殿 |