JR海南駅南200m高架下に建てられています。
 揮毫者は 海南市民病院の医師で郷土史家でもあり
万葉歌解説もされています、 佐々木政一先生です。 

「万葉歌」   紀伊の海の 名高の海の浦に 寄する波
           音高きかも 逢はぬ児ゆえに 詠人不知

 紀伊の国の海の名高の浦に打ち寄せる波の様に、
人の噂の高いことだなあ。まだ逢ってもいないあの娘との間に
噂が立ってしまったよ。
 名高の浦に打ち寄せる波音が高かったので、その波音の高さと
名高という地名に浮き名が高く立つという意味をかけ、
まだ逢っていない女性との噂が高く立ってしまった事を嘆く内容の歌です。
万葉の昔も現在と変わらずスキャンダルは話題になり安く早く伝わり
結構気を使ったのでしょう。
 名高の浦とは現在もその地名を残す様に海南市名高にあった浜で、
1300年前の万葉時代にはJR海南駅やきのくに線が通っている辺りが
海岸線で、それより沖には遠浅の海が広がっていました。
 名高の海は江戸時代から埋め立てが始まり、
昭和の埋立地のは火力発電所、製鉄所、製油工場が林立し当時の
面影は全く見られません、しかし 藤白神社から息を弾ませながら
熊野古道を登りきった藤白峠にある「御所の芝」に立ち、
JRの線路を目安にその景色を見渡せば、現在の市街地の中心は
かつては遠浅の干潟であった名高の浦の広がりを想像する事が出来ます。